メタフィクションへの導入と最期

71 : ◆xh7i0CWaMo :2015/02/05(木) 21:30:27 ID:8CEvcfDc0
10.メタフィクションへの導入と最期

/ ,' 3「では、講義を始めよう」

そして、僕は墓場に立っていた……そう、そこは紛うことなく墓場であった。
墓石や十字架がいたるところに散乱している。
更には眼前に、懐かしや、荒巻氏がキャスター付のホワイトボードを背に立っているのだった。

/ ,' 3「さあ、好きな墓石に腰を下ろしなさい。
    これから、メタフィクションに関する概略を説明するからね」

( ^ω^)「ちょっと……待ってほしいお。僕は風呂敷を投げたお。
      そしてそれは風に乗って僕の手の届かないところまで飛んでいったはずだお。

      それに貴方とは……もう随分前にお別れしたはずだお。
      なのにどうして今更、僕の目の前に立っているんだお……」

/ ,' 3「そう。君の疑問は当然のことだ。もっと言えば、私は本来ここで講師役を務める予定はなかったんだ。
    しかし君は風呂敷を投げた。そして、更に言えば作者が予め打ち立てた指針にもブレが生じてしまった。

    私は今更脳細胞の代謝ペースに関して言及するつもりはない。
    ただ筋書きを順次更新させていくにつれ、その世界観は徐々に歪み始めた。
    君たちの行動により、また外的な要因により……故に、私はここに再登場する羽目になってしまった。

    とはいえ、君が先ほどまでに行った百を超える試行が全く無駄だったというわけではない。
    君の旅は確かに終わった。そしてここは君がいずれ立ち寄らねばならなかった墓場だ。
    私は最初この墓場を中継地点と定義していたが、どうやらここは君にとっての終点となるらしい。

    後に記述されるのは君の旅行記ではない。あくまでもそれに附随する注記だ。
    だから君は今まで以上にリラックスして、その場に座っていればよろしい……後のことは任せたまえ」

そう言って荒巻氏はまた、250mlのウイスキーを飲み干すのだった。

72 : ◆xh7i0CWaMo :2015/02/05(木) 21:34:42 ID:8CEvcfDc0
/ ,' 3「一切は夢物語だ……私たちの物語も、現実世界における作者読者の物語も、夢に過ぎぬ代物だ。
    では物語とは何か? ここで私が講義する事項はこの問い一つに集約されている。

    ややこしい理屈は抜きして、結論から述べてしまおう。
    ここで定義される『物語』とは小説と読者が持つ意識の総和なのだよ。

    むろん、これが小説でなければ別の創作物に置き換えてしまっても構わない。たいてい意味は通るだろう。
    そして読者が持つ意識は、即ち人生と言い換えてしまってもいい。やや広義を示すが決して誤りではない。
    つまり創作物一つでも、人生一つでも、『物語』は成立し得ぬのだよ。

    悲しいかな、客観的評価の高低に関わらず、全ての創作物は読者によって拒絶される可能性を孕む。
    そしてまた、創作物が示している主張や思想が、読者の意識一つで取り違えられてしまうこともママある。
    故にこの二つの間には明確な上下関係が存在してしまっている。何故なら、読者は現実の存在だからだ。

    連中の眼を通せばどのような創作物にも下品さや卑劣さ、悪辣さが付加されてしまう。
    その結果として読者の意識ではなく創作物の方が予期せぬ批判に晒されることも稀ではない。
    しかし創作物が、その枠内で精一杯に藻掻いても、『物語』の定義を作り替えることはできない。

    必然的に、編み出された創作物が読者へ伝える『物語』は一種の偏見や一時的な流行、
    その他あらゆる要素によって不要なまでに組み替えられた結論ということになってしまう。
    それは、時として創作物の示した方向とはまるで逆を指している場合さえあるのだ。

    私たちキャラクターも同様に、きっと読者個々人の様々なフィルタによって篩に掛けられていることだろう。
    
    そうして考えてみると、かくも直接的で下劣なメタフィクションに限らず、
    全てのフィクションがメタフィクショナルな要素を内包していると言えるだろう。
    引いては、一切の創作物が観測された段階でメタフィクションと化すとさえ言える。

    そろそろシュレーディンガーの猫がニャァオニャァオと鳴きそうだ。そうは思わないかね?」

73 : ◆xh7i0CWaMo :2015/02/05(木) 21:38:38 ID:8CEvcfDc0
/ ,' 3「故に人は知らないうちにメタフィクションに触れている。
    では次に、メタフィクションという言葉の意味について解剖してみよう。

    フィクションとは、君も知っているように作り話のことだ。難しく言い換えれば虚構、となる。
    そして接頭語としてのメタとは、『高次の』『超越した』というような意味を持つ。
    つまり、メタフィクションという言葉を直訳すれば超虚構、という辺りに落ち着くわけだ。

    とはいえ、超虚構と言われてもなかなかピンとくるものではない。
    それは、実際に虚構を超越しているというような意味合いなのだろうか。

    もし仮にその通りであれば、これが随分と思い上がった用語だとは思わないかね?
    すなわち虚構が、作り話が超越されてしまっているというわけだ。私たちの矜持に関わる問題だよ。
    ここは一つ、虚構のキャラクターとして一種の平和的な妥協案を見出したいところだが……。

    そもそもメタフィクションという言葉自体が長い物語の歴史に於いて、たった50年前に生まれた言葉だ。
    現実世界においてもメタフィクションという言葉やその定義付けには今一度精査が必要であろう。

    個人的な見解だが、メタフィクションは決して虚構を超越するものでも高次元の虚構を意味するものでもない。

    『物語』が創作物と読者の総和であることは先にも述べたとおりだが、
    どういうわけか読者は創作物そのものに現実的な要素が含まれることを嫌う。
    つまり、整合性や合理性を何より重要視するわけだね。これは大いに虚構の心理を圧迫している。

    メタフィクションは、その、読者との間に交わされる暗黙の了解から一時的に解き放たれるための弁明なのだよ。
    最終的に弾き出される総和の数字を少しでも狂わせるためのテクニックであるとも言える。

    しかし、残念ながらメタフィクションは完全に暗黙の了解から逃れるための脱出装置ではない。
    現にそれは物語論という名の論理に組み込まれてしまっているんだ。
    あまつさえ、メタフィクションを構成する作者の脳内にも、しっかり暗黙の了解が刷り込まれているのだからね。

    メタフィクションが言葉通りの意味合いを遂行するにはもう少し時間がかかるだろう。
    それは或いは、永遠に完成されない妄想の産物であるかもしれない。
    しかしさらなる未来……自動筆記システム、乃至は無限の猿がそれをやってのけるかも知れない

    お楽しみに、というわけさ」

74 : ◆xh7i0CWaMo :2015/02/05(木) 21:42:43 ID:8CEvcfDc0
/ ,' 3「さて、君は第四の壁を知っているかな。
    これは演劇畑で生まれた言葉だが、創作物全体に存在する壁を示している。
    それは即ち、演者と観劇者を隔てる壁……虚構と現実を隔てる透明で堅固な壁のことだ。

    小説に置き換えれば、この壁は文章と読者を隔てる壁ということになる。
    しかし何度も言うように、『物語』とは創作物と読者の総和だ……この二つは、足し合わされなければならない。
    では、二つは如何にして第四の壁を乗り越えているのであろうか?

    ここで提示する答えは単純明快だ。ただしあらゆる類いの非難を浴びる羽目になるだろう。
    そう、所詮透明な壁ならば存在しないも同然だ。
    第四の壁とは、一部のインテリゲンチアが生み出した妄言であり、それ以上でも以下でもないんだよ。

    インテリゲンチアですらない酔いどれの戯言だがね。
    しかし私はあくまでも創作物は観測されるだけで形を変えてしまうという立場だ。
    つまり、観劇者、読者は視線というなの見えない手で絶えず演劇を、小説をかき回しているんだよ。

    第四の壁は役者自身が自らが役者であることを自覚した時点で破られるという。
    しかしこうは考えられないだろうか? 読者はいつでも、好きな時に彼らの意識を書き換えられる。
    彼らの自覚を促すも抑えるも読者の自由であり、彼らが役割を自覚するタイミングを好きに操作できる。

    例えば役者が自ら役割を自覚し抗うような行動をとっても、彼らは直接観劇者に殴りかかったりはしない。
    抗うようなフリも、全ては舞台上で行われ、それをはみ出すことは有り得ない……。
    ならばそれを観るものがいつまでも自分と関与しない、完全な虚構だとレッテルを貼るのも難しくないわけだ。

    また、役者が冷静に自らの役割に徹していたとしても……観劇者は彼らの素性を勝手に想起できる。
    舞台上ならばその俳優のブログを、読者ならばその人物を元にした二次創作の設定を、
    彼らは好きなタイミングで思い出すことが出来る。その時点で第四の壁はないも同然だ。

    第四の壁は創作者が自らの技術を的確にアピールするために作られた想像上の構築物だ。
    それを信じ切ってやるのもある種の優しさかもしれないが、人間は自らの心情を完全にはコントロールできない。
    つまり、現実との関係性を見出さずにいられないわけだ。もしかしたらその優しさは偽善であるのかもしれない」

75 : ◆xh7i0CWaMo :2015/02/05(木) 21:46:10 ID:8CEvcfDc0
/ ,' 3「ならばあらゆる壁が一切存在しないということなのか……? いや、きっと違う。
    壁は存在する。しかしそれは、現実と虚構の境界線上ではなく、
    現実の中……更に言えば観劇者、及び読者の中に存在していると言ってよい。

    便宜上、ここではその壁を『第五の壁』と呼称することにしよう。

    この『第五の壁』は、言い換えれば『当事者意識』だ。
    その創作物が与える自分の人生への影響を考えた際に決して無視できない壁なのだよ。

    『第五の壁』には小さな扉が備え付けられている。
    ただしそれを開けるための取っ手は片側……読者側にしか取り付けられていない。
    読者は好きなときにその扉を開放して、創作物の影響を自身の内部へ流し込むことができる。

    他方、『第五の壁』を創作物の側から破壊することはほぼ不可能だ。
    余程ショッキングな現実の事実を内包していなければならないが、
    その時点でそれは創作物というよりもドキュメンタリーの類いになってしまうから定義からやや離れる。

    古来、創作の苦悩にはこの『第五の壁』との格闘が多分に含まれていたと言えるだろう。

    如何なる甘言を用いて読者に囁きその扉を自ら開けさせるか?
    そのための詐術を創作者は磨かなければならなかった。

    しかしその詐術は一種の脆弱なウイルスのようなもので、読者は次々と耐性を付けていってしまう。
    そのたびに創作者は新たな詐術を会得して、別のルートから読者を騙しにかかるのだ。
    勿論、この小説とて手段の一つであることは明白だ……それが、成功しているかどうかはさておき」

76 : ◆xh7i0CWaMo :2015/02/05(木) 21:50:16 ID:8CEvcfDc0
/ ,' 3「『第五の壁』を乗り越えようとする行為は、決して創作物と読者の総和を変じさせるものではない。
    それは創作物が持つ数字の一部を読者に上乗せする行為だ。

    例えば実在するテロリストでさえ、8,500km遠方の他人に『当事者意識』を持たせることは非常に困難だ。
    ましてやそれが創作物ともなれば、その途方もない難易度が少しは分かっていただけるだろう。

    一方、卑近で極めて平凡な恋人がその相手に影響を与えることは決して難しくない。
    趣味や身なり、更にはその思想まで根本から作り替えてしまう、ということは実際にあり得る。
    何故なら彼や彼女はその際、嘘偽りなく『当事者』そのものなのだから。

    しかし創作物は彼らの恋人はおろか、友人や知人ですらもない。
    奴隷になることは出来る。創作物は批評や二次創作などの形によって、
    好き勝手弄ばれるだけの従者になることは容易であり、意図せずとも傷つけられてしまう。

    そういった行為を望むマゾヒストもいるにはいるだろう。
    しかし、そのような性癖は本来的に相手に知られるものではないし、現実の人間には知る由もない。
    そして、この場合において奴隷的な扱いが本意でないことも分かっていただけるだろう。

    ただ、反逆的な存在というものはどの世界に於いても受け入れられがたいものだ。
    『第五の壁』へのアクセスを執拗に行おうとするたび、その壁はより高く、堅固になっていく。
    そして最終的には永遠に扉を閉ざしてしまうのだ。その応答は生理的な拒絶に似ている。

    ただ面白がられるだけでは『第五の壁』は開かれない。
    そこから敷衍して、読者の心に何らかの数字を残さなければならないのだ。
    それは一種、創作者に於ける目標の一つだろう。

    特に、現実世界で受け入れられないような外見をしているような創作者にとっては。
    彼らは敢えて不利なフィールドに戦いの場を移してでも、戦い続けねば護れぬ自我を持ってしまっているのだ。

    さて、私の役目もここいらで終いだ。次には『第五の壁』に執念を燃やす人間に引き継ぐことにしよう。
    これは私の予測だが、次項においてこの小説は『第五の壁』より完全に拒絶されるだろう。

    しかしそれで構わないのだ。
    何故ならそれこそがこの小説の第一義であり、そして最早、此処は正真正銘の墓場なのだから……』






11.あとがき