認識に疲弊した猜疑心のパレード

55 : ◆xh7i0CWaMo :2015/02/03(火) 22:07:16 ID:rlbuCcLw0
8.認識に疲弊した猜疑心のパレード

僕はオアシスを眺めている……。いや、嘗てそれはオアシスであっただろう、と思っている。
今やそれは蜘蛛の糸みたいに細やかな水を湧出しているだけに過ぎない。
どこからか聞こえてくる行進曲……不気味に整えられた人々の足音……その正体を暴くことが叶うはずもなく……。

(゚、゚トソン「それは観念の源泉なんですよ」

不意に彼女は呟いた。彼女は些か足下の砂利を力強く踏みしめ、その場に立ち竦んでいた。

( ^ω^)「あなたは……?」

(゚、゚トソン「いったい、誰に見えますか?」

( ^ω^)「……」

登場人物としての制限を排するならば、僕は容易に彼女が都村トソンであることを認識できる。
その容貌はハッキリと脳裏に刻みつけられており……都村トソンという名前と明確にリンクしている。

(゚、゚トソン「それは、おおよそ正解です。ある視点において、私が都村トソンであることは事実でしょう。
     しかし、また別の視点に立てば、それは完全なる間違いであると同時に、
     あなたの頭を支配する凄まじき誤解の端緒となっているのです」

彼女は表情一つ変えずにそう言った。しかし、僕には彼女を都村トソン以外の何者かに見立てることが出来なかった。
彼女は違えようもなく都村トソンであり、また、もしそうでないとすれば困る……不用意に混乱してしまう……。

(゚、゚トソン「貴方が抱えている誤解を大別するならば二つ、です。
     一つは、貴方が作者の文面から言質をとっているという確信と信頼。
     そしてもう一つは、貴方自身の頭に備わっている変換機能に対する信頼です」

未だに足音は遠く……しかし延々と続いている。
近づきも、遠のきもしない。その足音は同一の場所から踏み鳴らされているようである。
しかしそれが今一つ合理性を欠いているように思えるのは、伴う行進曲の勇壮さ故だろうか……。

56 : ◆xh7i0CWaMo :2015/02/03(火) 22:11:32 ID:rlbuCcLw0
(゚、゚トソン「作者の文面にアリバイを見出すには、根本的に次の三つを懸念しなければなりません。
     一つは作者が意図的に読者を欺こうとしている場合……例えばこの私の顔が精巧な仮面であった場合。
     しかしこの場合、いずれ作者は真意を告白しなければなりません。そう、終わりまで読み通せばいいのです。

     もう一つは単純な勘違い……変換ミスなどがこれに該当します。
     つまり、作者は私をまた別の誰かだと認識したまま、私の容貌に気付かず話を進めてしまっている場合です。
     ただし、これも事後における自覚や読者の指摘によって発覚する場合が殆どです。

     そうした際は後々になって修正が施され、勘違いとしての私は消失することとなります。
     ただ。これもアリバイの確認という意味では混迷を深める要因にはなりづらいでしょう。
     むしろ、修正されることによって作者の意図がより明確に暴露されるやも知れません。

     そして最後に……これが最も厄介なのですが……作者すら正確だと誤認してしまっている場合。
     その場所で、その行動をし、その台詞を口にする役割は私でなければならなかった。
     しかしそれは有り得ない、もしくは作中で致命的な内的矛盾を生じさせてしまう場合……。

     その場合、私は第一項と同様に仮面をつけていることになります。
     しかしながらその仮面は私自身の皮膚と緻密に縫合されており、剥がすことができません。
     いわば他人の顔を永久に借り続ける羽目になるのですが……さて、この場合の私はいったい誰なのでしょう?

     これは少なからず発生してしまう問題です。
     そして、原因は背後に別次元としての作者が存在していることに集約されてしまいます。
     
     即ち作者はあらゆる矛盾を排するよう最大限の努力を注ぐのですが、
     所詮は別次元の存在であるということです。何故別次元であることが問題となるのか?
     簡単なことです……作者は、別次元である小説の世界におけるリアリティを、完全には書き込めないからです。

     例えば私たちの世界は私たちの目を通しては三次元として認識されていますが、
     現実にはそこに時間の流れが加わっているので四次元以上の世界として展開されているのは明らかです。
     
     更に、理論上空間次元は三個ではなく十個存在していると言われていますから、
     この世界は十一次元であるという仮説すらも成立しているというわけです」

57 : ◆xh7i0CWaMo :2015/02/03(火) 22:15:20 ID:rlbuCcLw0
(゚、゚トソン「しかし所詮我々の目に見えるのは三次元の立体的空間であり……それ以上でも以下でもない。
     ここに作中のリアリティを表現する限界が存在しています。

     つまり、私たちは最低でも四次元の世界に存在していながらその世界を現実的に認識できない。
     ID説の是非については別の機会に取っておきましょう。
     ただ、小説世界を創造するのは間違いなく人間という『知性』なのです。

     その知性が一切を想像する以上、その知性はリアリティを完璧に想定するだけの知力が求められます。
     しかし人間にそれは不可能です……何故なら、人間は自分たちの世界をも理解していないのですから。

     その程度の知性である人間に、別次元とはいえキャラクタや世界観が存在し、
     時間の潮流さえ基本的には止まらぬ小説の現実性を証明させられる筈がありません。

     小説は持ち得ぬリアリティを巧妙に隠し通すこともまた使命なのですが……
     これが明るみに出ることも決して珍しいことではありません。

     そしてそれが暴露された瞬間に、小説の世界、そしてそこに信用を依拠していた読者は、
     深く逃れられない混迷の闇に突き落とされてしまうのです。無論読者は即応的に思考を放棄できますが、
     小説世界内部はそういうわけにもいかず……そこに暗がりの虜囚が誕生してしまうという具合です。

     さて、では問題を貴方自身が前もって準備している変換機能に移しましょう。
     その変換機能を、私たちは先天的に獲得しています。しかし、後天性のあらゆるイベントによって、
     機能は大きく変容し、付け加えられ、そしてまた歪められています。

     所謂『思い込み』はこの最たる例です。つまり一定の文章に突き当たった際、
     殆ど思考を介入させることなく脳内でA=Bの等式を立てて理解したつもりになってしまうのです。

     勿論小説は数学の問題ではありません。Aは場合によってBではなくCであることも多々あります。
     しかし、読者は……現実的な問題要素により……基本的に作品の解読に全力を注ぐことができません。
     よって彼らは出来る限り変換プロセスを簡略化しようと努めます。その結果として誤解が生じるのです」

58 : ◆xh7i0CWaMo :2015/02/03(火) 22:19:29 ID:rlbuCcLw0
(゚、゚トソン「記号の組み合わせとしての私が登場した瞬間に、
     殆ど全ての読者が彼女は都村トソンであると認識するでしょう。それは非常に効率的な変換プロセスです。
     そして読者は、各々が思い描く都村トソンという人物像を脳内に設置するでしょう。

     ここで二つの大きな問題が発生します。
     一つは、脳内に設置される都村トソンは決して共通認識ではないということです。
     人によって私の顔の具合や身長、手指の長さに至るまでが、思い思いに異なってしまっているのです。

     そして二つ目に、彼女が本当に都村トソンであるのかどうか、という問題です。
     例えば、作中に於いてこの都村トソンが突如全く別の人物に置き換えられたとします。
     それは決して有り得ないは言い切れません。選択肢として想定される展開には全て可能性が存在します。

     さて、それが実際に起きたとして……読者は正確に脳内の都村トソンを置換出来るでしょうか。
     およそ不可能でしょう。そして更に、前述した問題がここにも重ねがけられることになります。
     即ち、新しい『都村トソン』としての人物もまた、思い思いの描かれ方に委ねられるというわけです。

     人物そのものの置換というのは非常にドラスティックで非現実的な可能性ですが、
     これが性格の変貌や容貌の欠損……程度であれば多少リアリスティックでしょう。
     つまりあらゆる展開によって都村トソンは別の都村トソン、或いは都村トソンでない何かに変貌するのです。

     結果として、読者がイメージする都村トソンは全く異なるものになります。
     記号列というヒントが提示されているにも関わらず、です。
     そのために私は、常に読者と同数、またはそれ以上の数を存在させている必要があります。

     勿論作中の説明や読者によるイラストなどにより、像を明確にするためのすり合わせが行われるでしょう。
     しかしすり合わせはあくまでもすり合わせであり、完全な一致を見るものではありません。
     あまつさえ読者同士ならばともかく、作者と読者の間における認識の不一致も十分に考えられます。

     ですので、現時点では少なからず都村トソンである私にも一定の嫌疑を掛ける余地があり、
     その疑いは永遠に明白となることはないのです。
     しかし彼らの脳は決して些細なエラーで停止することはありません。

     必要最低限の要素以外を彼らは簡単に無視できますし、
     場合によってはそもそも、彼らの脳内に於ける物語の進行を放棄してしまうことも出来ます」

59 : ◆xh7i0CWaMo :2015/02/03(火) 22:23:30 ID:rlbuCcLw0
(゚、゚トソン「ここに於いて、私は自己を自己たらしめるほどの物語性を所持していません。
     過剰なまでの弁舌を、代弁を行っているにも関わらず、です。
     そんな私がどうして都村トソンでありえるのか? また、どうやって都村トソンであり続けられるのか?

     しかし前述した一切の要素において最も強力で破壊的、また現実に影響を及ぼすのは、
     他ならぬ読者の変換プロセスです。これを抜きにして物語は完成しないとさえ言えるでしょう。

     つまり、その機能の曖昧さ、いい加減さによって物語は完全なる現実性の再現から逃れ、
     また必要以上の糾弾から許されているのではないでしょうか。

     ……とは言うもののここには一種の虚しさが付き纏い、つまり読者の変換プロセスに、
     作者が直接的なアクセスを試みるのはほぼ不可能なのです。

     読者は少なからず作者には踏み込めぬ領域を有しており、
     どれだけの努力を払っても侵入し得るものではありません。
     それは、作品が立ち向かう強大で絶望的な壁と言って良いでしょう。

     ただ、これは決して小説等々の創作物だけが相対する壁ではありません。
     人間というものは常に相手の常識による偏見に脅かされるものであり、
     幾ら清廉潔白を謳おうとも外見が不浄ならば受け入れられないものです。

     それは、恐らく永遠に融和することのない差別の一種ですが、
     自由主義、民主主義的な社会ではこの差別が見事に管理されています。
     誰も、不愉快に見える人間とコミュニケーションを取り、その愉快さを見出したりはしないものです。

     同様に、小説等の創作物は創作物という枠内に当て嵌められている時点で、
     所詮はその程度の存在という立ち位置で貶められ、卑下される羽目になります。そういうものです。
     キャラクタに対する愛情には常に自らの自由にあるという傲慢さが伴っています。

     弱者に対する愛には常に殺意が込められている……と、高名な作家が言い表した通り」

60 : ◆xh7i0CWaMo :2015/02/03(火) 22:27:31 ID:rlbuCcLw0
(゚、゚トソン「つまり私がどれほどの頁数を割いて自らの存在の揺らぎを語ろうとも、
     多くの読者にとっては当事者的な問題にはなりません。これはあくまでもペダントリーであり、
     私に対する認識に於ける重大なエラーを読者の脳内に起こすことは出来ないのです。

     その混乱は、現実世界にこだまする理由なき怒鳴り声一つに一掃される程度のものでしょう。
     私の立ち振る舞いも一切は虚栄であり、そこに形而下の名誉が授けられることもありません。
     私たちは常に無視と嘲笑に監視されているのです……それだけのこと。

     私が、明確に影響を与えられるのは同じ次元の相手だけ……つまり、同じ小説の登場人物だけです。
     貴方は私の言葉に少なからず動揺と混乱を覚えたかも知れません。
     もしそうであればそれは私の意図通りです。そして、私はその成果に満足しなければなりません」

( ^ω^)「……」

僕は……いったい何を思っているのだろうか。もしかしたら、何も思っていないのではないだろうか。
ただ漠然と彼女の言葉を聞き流しているだけなのかも知れない。
そもそも、相手の話を頭に留めて解剖する方法が分からないのだ。それが出来るにせよ、今暫く時間が欲しい……。

僕は疲れ切っているのかもしれなかった。旅路で出会う人々は皆がそれぞれ、
各々の形で絶望を語り、希望を見出した者は殆どいない。それが僕の本来の目的であるというならば仕方ないが、
これ以上見えない知性の意思で右往左往させられるのは御免だ。

もうそろそろ、この旅路も終点に辿り着いてしまっても構わないのではないだろうか……。

(゚、゚トソン「私は自分自身が斯くも愚かなペダントリーに塗れてしまっているせいで、
     他人に対しても常に攻撃的な猜疑心を抱かずにはいられなくなってしまっています。

     例えば目の前にいる貴方が本当に私の知っている名前の人物なのか?
     その人物像は私が思い描くものと大きく異なっているのではないか?
     私は作中の人物として、最早何者にも信頼を依拠することができなくなってしまっているのです。

     この観念の源泉は、元々もっと豊かな水を湛えていました。
     それが途切れてしまった理由は定かでありませんが……ともかく、観念の喪失もまた、
     私の思考を乾かしてしまった要因であるといえます。

     さて、彼方より未だに響き渡るマーチと無数の足音は誰のものなのでしょうか?
     それは無数の私のものでしょうか? それとも無数の貴方のものでしょうか?
     もしくはどちらでもない、または両方を合算するものでしょうか……いずれ、答えは知れぬのです。

     そして私は、これからもずっとあの足音を聞き続けるのです……」






9.風呂敷よ存分に風を吸って舞いたまえ