辞書に無い女の顔が辞書に無いから美しい

10 : ◆xh7i0CWaMo :2015/01/30(金) 23:29:06 ID:u02SQKbo0
2.辞書に無い女の顔が辞書に無いから美しい

荒巻氏と別れを告げた僕はその足で早速村を出た。

よくよく考えてみれば村の外に出るのはこれが初めてのような気もする。
それどころか、自分の住んでいた村が世界のどの辺りに位置しているのか見当もつかないのだ。
 
けれど、何を思いだしたところで何の意味があるというのだろう? 
荒巻氏の言う通り僕たちが所詮物語の登場人物であると言うならば、
何を思いだしたところでそれは僕の自由意思の結果ではない。

うっかり何らかの記憶を刷り込まれるのはあまりにも惨めだ。
ならば出来るだけ物事を考えないでいるしかない。
もっとも、それだって意図通りの筋書きなのかも知れないが……。
 
何にせよ病的だ……。何もかもを疑って愈々自分を見失うぐらいなら、あらゆる事物を信奉した方がマシに思える。
誰か僕の元へ点滴を……。信頼する能力を得られるよう治療を……。

11 : ◆xh7i0CWaMo :2015/01/30(金) 23:33:33 ID:u02SQKbo0
「おい」
 
不意に聞こえてきたやや低い女の声に僕は立ち竦んで辺りを見回した。
誰がいるわけでもない。ならば幻聴なのだろうか。
そうだとすれば、この場面に於いて幻聴に苛まれる理由とは……。

クー「いったい何を言っているんだ。私は目の前にいるじゃないか」
 
言われて僕はもう一度前を見た。そうするとそこには確かに女がいた……いや、女らしきモノがいた。
それは如何様にも表現しがたく評価しがたく、しかし存在していることだけは確からしかった。

クー「何を面食らっているんだ。驚くことなど少しもあるまい」

( ^ω^)「いや……」
 
僕は改めてそのモノをまじまじと観察した。
その結果、矢張り、その存在には最も重要な部分が欠けていた。

( ^ω^)「だって、君には顔が無いお」
 
それには顔面が存在していなかった。僕や荒巻氏が獲得している顔面が、
またモブキャラクターが血を見る努力をしても持ち得ない顔面が、この登場人物には欠落しているのである。

12 : ◆xh7i0CWaMo :2015/01/30(金) 23:37:10 ID:u02SQKbo0
クー「顔……顔か。ずいぶんと懐かしい響きだな。
   そういうものが重要であるように洗脳されていた時期が、私にも一頃あったような気がする」

( ^ω^)「洗脳……」

クー「顔の代わりに……君には私の名前がハッキリと分かるだろう?」
 
それは事実だ……僕にはそのモノ……いや、彼女がクーという一個の人物であることが理解できる。
それを知り得た過程は既に記憶から消滅してしまっているが、
概念としての彼女の名前がフワフワと脳裏に浮かんでいる。

彼女はクーだ。しかし顔面のないモノだ。
プロフィールという言葉に横顔という意味が含まれているのならば、
名前の存在と顔面の欠落は両立し得るのか……?

クー「何も難しく考える必要はない。
   君に私の顔が分からず、またそれに違和感を覚えてしまうのならば、
   いっそ自分で想像してしまえばいいじゃないか」

( ^ω^)「想像だけで顔面の全てを作り上げるのは……それは、想像なのかお?」

クー「細部まで緻密に描き込む必要はない。顔面の把握は認識の手段に過ぎないのだから。
   それに、君だって自分が全裸だと言うことを自覚していないだろう?」

13 : ◆xh7i0CWaMo :2015/01/30(金) 23:41:13 ID:u02SQKbo0
( ^ω^)「……」
 
言われて僕は自分の姿を見下ろした。しかし、それはあまりにも不可能だった。
何故なら現時点で僕には、顔面以外の身体が存在していないのだから。

クー「それは、未だ君の姿が仔細に描写されていないからだ。
   もっとも、それで言えば君の顔にしたって曖昧なものだよ。
   
   それだけじゃない。君は君の出自を細かに回顧出来るか? 
   君が住んでいた村がどんな地形だったか思い出せるか? 
   そして、この場所がどんな場所か、知るための方法を持っているか?」

( ^ω^)「……」

クー「一切は想像だよ。そしてそれは誰とも共有できないものだ。

   クオリア……とは少し異なるが、いずれ顔面とは、
   自分自身の知識と経験に基づいて組み立てられた一般的な観念でしかない。
   ましてや、私たちのように普遍的な連中の顔などは……」
 
クーは薄く笑った……しかしそれは決して笑顔ではなかった。

クー「嘗ては私も顔を持っていた。君と同じ、記号の列で作られた簡素な顔だ。
   けれどもそれは、作者が辞書から消すと同時に失われてしまった」

( ^ω^)「辞書?」

クー「作者が持ち合わせる記憶とは別個の……意識を持たぬ機械としての記憶に内在していた辞書だ。
   そこから私の顔面として登録されていた文字列が消えた。決して珍しいことではない。
   
   或いは作者が意図的に消去したのかもしれない。
   もしそうだとしたら私は不幸な女なのかもしれない。
   それでも私は、顔を失うことは一種の救済であるとも考えているんだよ」

14 : ◆xh7i0CWaMo :2015/01/30(金) 23:45:17 ID:u02SQKbo0
( ^ω^)「自分の顔に愛着が無かったのかお?」

クー「そういうわけではない。しかし人間の象徴としての顔は、あまりにもその責務が大きすぎる。
   その顔面のおかげで、私たちは幾らか自らの役割に囚われざるを得なかったんだ。

   客観的な視点にしてもそうだ。顔面による判断は時として真実とは大きく距離を置く。
   けれども多くの人々にとって慣用なのは真相ではなく表面なんだ。

   今や私は表面を取り払った。そこには最早真実しか存在していないというわけだ。
   これは役割からの解放であると同時に、偏見からの解放でもあるというわけさ。

   これが案外と心地よい。
   だから私という項目が辞書から消されたことについて、私自身は何ら異存が無い」

( ^ω^)「けれどまだ名前が残っているお。顔面と同じぐらい存在感を放つ名前が……」

クー「そう、その通り。だから出来れば最後の最後でこの名前さえも放棄してしまいたかった。
   そうやって一切の象徴を捨て去ったとき、他人は私を如何に見る? 
   いや、もしかしたら見向きもされなくなってしまうかもしれないな。

   けれども多少居丈高に出ることが許されるならば私はこう言いたい」

そしてクーは……あくまでも僕のイマジネーションの中で……コツコツと指でこめかみを叩いた。

クー「頭を使いたまえ、とな。一度諸君の頭にある表面的な偶像を捨て去ってリビルドするべきだよ。
   その瞬間、諸君は全くもって自由だ。如何なる像を結ぶことも可能だ。
   そして、表面的な観点よりも机上の空論こそが真相を呼び込むことだって少なからずあるはずさ……。

   そんな主張さえも傾聴されずに私が表面ごと放棄されてしまうなら、いっそその方が気楽でいい。
   インタラクティブな関係が常に孤独を癒やすとは限らないのだからね」

15 : ◆xh7i0CWaMo :2015/01/30(金) 23:49:12 ID:u02SQKbo0
( ^ω^)「……何となく、悪くない気がしてきたお」

クー「さて、君は私を如何に見る? 
   名前とたったこれだけの台詞によって、君は私という存在をどのような像として結ぶだろう? 
   その像が、私が以前持っていた顔より少しでも良いものであることを願ってやまないな」

( ^ω^)「……ちょっと過大評価でも構わないなら……たぶん貴方の顔は、とても美しく、
      気高いものであると想像するお。想像、したいお」

クー「ありがとう」

とクーは呟いた。

クー「そう思ってくれるなら、私も君を良き存在として思いたい。
   全てのコミュニケーションがこのような手続きを踏まえられれば良いんだけどね。
   誰しも、面倒事に時間を割いている暇はないということさ……。そして私も、やや喋りすぎてしまったようだな。

   さあ、君は行きたまえ。君の旅はまだ続くのだから」

( ^ω^)「でも、預かった手紙を読んでもらわないといけないお」

クー「問題ない」

僕が結んだ像としてのクーは、今度はハッキリと、朗らかに笑っていた。

クー「こうやってお喋りをしている間に、君が結んでくれた私の顔が、手紙の文面を余さず読み込んでいたんだから」
 
顔の無いクーは、顔の無いが故に幸福そうだった。
けれども、漸く解放された彼女とたったこれだけの会話で別れてしまうのは、
あまつさえもう二度と会えなくなってしまうのは、何だかとても勿体ないような気がした。
 
なんとなく、寂しくなった。






3.ネグレクトの被害者である彼の役割はキチガイ