涙を流す日

3 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:17:29 ID:jDTTQVVk0
2.涙を流す日 20111082KB

振り返ってみると……。
私にはもっと、言うべきことがあった気がする。
私は私が語った中で殊更に主張した事柄以上に、大切な事実を隠し持ってしまっているのではないだろうか。
 
しかし、最早何も分かるまい。
死んだ後に意識がどうなるか、とか宇宙の果てがどうなっているか、とか、
その手のビッグ・クエッションはモラトリアムな人々のための産物だ。

私などは、ほんの少し前にそれらを捨てた。
 
だから今みたいにビッグ・クエッションに面と向かって立ち会わなければならなくなってしまった時、
私はどことなく卑屈っぽい態度をとって、
パーソナルな話題にまで規模を縮めて語らざるを得なくなってしまったのだ。

世間的には、おそらくこう言うのを、処世術と呼ぶのだと思う。
 
そういうわけだから、最後まで言いそびれてしまった事実を、最初に書き留めておく。
次の一行に限っては、おそらく誰しもにとって役立つ一行ということになるだろう。
 
もうすぐみんな死ぬ。気をつけて!

※ ※ ※

4 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:18:09 ID:jDTTQVVk0
記憶よりも遙かに時間のかかった旅路のせいで、目的地に着いた時にはもうすっかり日が暮れていた。
単行車両が滑り込むには贅沢すぎる巨大なプラットホームに降り立ったのは私一人だけで周囲には誰も居ず、
何だかこれから肝試しでもするかのような怖気が走る。

十年以上昔に一度だけこの駅には来たことがあるはずだったが、明確な記憶ではない。
あの時は電車の車両もホームの幅一杯に停まっていたし、
至る所が観光客でごった返していたのだから仕方ないのかもしれないが。

タブロイド誌で得た情報と、そこから膨らませた想像だけを頼りにして来たおかげで、
三十八度線並の警備体制をイメージしていたが、現実は呆気ないものだった。

あまりにも広々とした改札口に守衛らしき若い男が二人立っていたが、
彼らも、私に幾つかの質問を投げかけただけで、存外あっさりと通してくれた。
  _
( ゚∀゚)「乗り過ごしかい」

彼らの質問は、まずそこから始まった。

(´・ω・`)「いや。ちょっと、人を探しに来たんだ」
  _
( ゚∀゚)「人を探しに」

5 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:19:08 ID:jDTTQVVk0
彼は復唱してから私を眺め、軽く頷いた。
  _
( ゚∀゚)「そうか。探してるのは奥さんか、子どもさん?」

(´・ω・`)「そんなところだね。……何か、手続きは必要なのかな?」
  _
( ゚∀゚)「駅を出るのに手続きなんてあるわけない。いつものように歩いて行けば、それで構いやしない」

(´・ω・`)「ふうん。そうか、ありがとう」
  _
( ゚∀゚)「ここにはどれぐらい滞在するつもりかね」

(´・ω・`)「早めに帰るべきなんだろうけど……。話の長さによるかな」
  _
( ゚∀゚)「そりゃそうだな。健闘を祈るよ」
 
彼らは一度も笑わなかったが、会話自体は和やかなものだった。
彼らは恐らく、訪れる全員に同じような質問を投げかけているのだろう。

飽くまでも公共の場所である駅に私的な守衛が立っていることは少々奇妙だが、
業務委託の類いと思えば納得できなくも無い。事実、駅員らしき者は誰もいないようなのだ。

6 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:19:56 ID:jDTTQVVk0
灯りの絞られた構内を抜けて外に出ると、まず巨大なバスターミナルが眼に入る。
かつてはここに、多くの観光バスが出入りしていたのだろう。
しかし今やターミナル内には乗り捨てられたような車両が幾つかあるのみで、活気の残滓も見当たらない。

設備自体は今でも十分使用に耐えうるものであり、
廃れ具合も多少浮いている錆びに認められる程度なので、無人であることが一層不気味に感じられた。
 
右を見遣ると惑星を模したオブジェを頭に載せた巨大なショッピングモールが鎮座している。
昔ここに来たとき、母が多くの土産物を購入していた場所だ。

真っ白い壁面は薄汚れてはいるものの、静かな佇みには堂々とした風格さえ感じられる。
無人空間における人工物の美学、とでも言うべきか。
 
左には、下から見上げると不安になるほど真っ直ぐに伸びている高層ホテルがある。
嘗て宿泊した際、小市民である私たち一家は六階だか七階だかに部屋を取ったが、
最上階付近には好況に任せ、贅を尽くしたスイートルームが用意されているのだと聞かされた。

当時は憧れもしたが、今となっては何とも思わない。
この先の人生にそのような場所へ泊まる機会が無いことも確信しているが、さしたる淋しさも無い。

7 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:20:57 ID:jDTTQVVk0
ターミナルの向こう側には、片側三車線の広々とした道路が真っ直ぐに伸びている。
この街の目抜き通りであり、これに沿って進むと道沿いにある主要施設を探訪することが出来、
また街最大の観光資源まで真っ直ぐ向かえるのだ。

たった一人、或いは一企業によって街の基礎が作られたせいか、その構造は極めてシンプルだ。
しかし、広大であることには変わり無い。

繁栄の末期に作られた海岸沿いの別荘地まで含めると、とても徒歩で回れる規模ではない。
建物内部までを考えれば、それだけで気が遠くなる。

思えば、勢い任せでここまで来たのがいけなかった。
本気で目的を果たすつもりであったならば、もう少し準備を整えてから来るべきだった。
だが、今更引き返すわけにもいかない。私とて、追われる時間に常々苛まれる人生を送っているのだ。

旅の疲れとも取れる若干の身体の重さを引き摺りながら、私はともかく、前へ進むことにした。

※ ※ ※

8 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:21:53 ID:jDTTQVVk0
街について。
 
かつて、私がまだ生まれてもいなかった頃、この街に目を向ける者は誰もいなかった。
目立った産業に恵まれなかったこともあり、若者は次々と都会へ移り住んでいった。

唯一の強みは誰の手も加わっていない美しい海岸線と、自然の戯れによる無数の洞窟群だったが、
あまりにも手が加わっていないため危険であること、また主要都市からは、
電車を乗り継いで二時間以上かかるという交通の便の悪さゆえ、それすら活かすことが出来ずにいた。

誰もが、数ある過疎地と同じようにその街が人知れず消失することを確信していた。

しかし三十年前、ある発見を境にこの街の運命は一変した。
無数に穿たれた洞窟の一つ、その最も奥まった場所の広大な岩壁に、
幾何学模様を描く美しい発光現象の存在が確認されたのだ。

残念ながら、その美しさについて描写するだけの十分な表現の幅を私は持っていない。
しかし、誰だって知らないはずが無いのだ。
何せ、それが発見されてから二十年ばかり、その地に国内外からの観光客が途絶えた事は一度も無いのだから。

ただ岩壁に映る色とりどりの光が、何故かくも多くの人々の心を惹きつけたか、誰にも分からなかった。

私が思うに、きっと神か何かが人間を作った際、その頭にこんな風に植え付けたのだろう。
「人間よ、こういう感じの景色を見たら感動するように」と。

9 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:23:12 ID:jDTTQVVk0
いつしか、その発光現象に『彩色の奇跡』という名がつけられた。
この名前には二つの意味がある。一つは無論、その現象が世界中の人々を釘付けにしたという意味。
そしてもう一つは、それに伴う類い稀なる商業的成功を称える意味である。

最初にこの現象を発見したのは、ある高名な実業家だった。
考古学的な趣味を持っていたその男が誰も探索しようとしていなかったその場所に初めて足を踏み入れ、
『彩色の奇跡』を見つけたというわけだ。

彼はそれを発見するや、自らのコネクションと財力、
その他あらゆるものを利用して自身が発見した奇跡を世界中へ喧伝した。
それと同時に、その周辺の大開発に乗り出したのである。

その時点で、実業家が現象の価値に気付いていたか、それは分からない。
しかし、そのギャンブル精神のようなものこそが実業家たる所以なのかもしれない。
私のような小市民には想像の及ばぬ領域だ。

ともかく、彼は周辺の土地を買い占め、老人と共に死にゆくのみだったその街を、
巨大な観光都市へと変貌させたのである。
駅周辺にはホテルやショッピングモールが立ち並び、海岸線も整備された。

『彩色の奇跡』へ続くコンクリートの道も敷設され、美術館をも用意して芸術的な価値を高めることにさえ成功した。
 
全ての準備が整ってからの熱狂ぶりは、年がら年中万博を開催しているにも等しかった。
人種や年齢、性別を問わず、誰もがその地を訪れた。最終的な集客数は、延べ十億近くに上るとも言われている。

私もその一人だ。
十五年ほど前の当時、私はまだ中学生で、両親と共に格安のパックツアーで訪れただけだったが、
あの現象の素晴らしさを目に焼き付ける事は出来た。何が素晴らしかったかというと、とにかく素晴らしかったのだ。

先に述べたような特殊な経緯のため、街に占める産業は殆どその実業家が掌握していた。
そのため、世界各地から訪れた旅客の落とす莫大な金銭は、その殆どが彼の儲けとなった。
彼の得た収入は、およそ天文学的な数字だったとまで言われている。

11 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:26:23 ID:jDTTQVVk0
ところで、この発見には無論、科学的な人々も興味を持った。
奇跡には、その名にふさわしく奇妙な点がいくつかあったのだ。

何よりの関心事であるのは、先にも書いたとおり、この現象が何故多くの人々にとって魅力的に映るのか、という点。
また、発光現象のメカニズムについても定かではなく、地理的な特徴も見出せなかったのである。

しかし実業家は、この現象に科学的な検証の介入を頑なに拒んだ。

彼はこう主張した。『彩色の奇跡』すらも科学的に解明してしまえば、
この世の中に科学の窃視を被らないところは無くなってしまう。
我々はここが美しいことを知っている。それで十分ではないか。
 
その押し問答が繰り返されたのが発見から二十年、産業として確立されて十五年が経過していた。
今から十年前のことになる。論争は長きに渡ったが、その最中、奇跡は唐突にして終わりを迎える。

12 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:28:22 ID:jDTTQVVk0
五年前のその日、多くの観光客が見ている目の前で、光は消えた。それきり、二度と復活しなかった。
その後研究者による調査が行われたが、そこに残っていたのは何の変哲も無い岩肌だけだった。

斯くして奇跡の廃墟には、ただひたすら訪れづらいだけの、平凡な観光都市だけが残される結果となった。
 
誰も予想していなかったこの、ある種の揺り戻しは、世界規模の経済に少なからぬ衝撃を与えた。
勿論、最も影響を受けたのは当の都市そのものである。

異様なまでの伸び率で多くの観光客を動員した勃興の際と同様、減退の速度もおよそ光速に匹敵し、
一ヶ月後には誰も訪れぬ閑古鳥の巣になっていた。莫大な投資による膨大な維持費、人件費も相まって、
都市全体の運営はたちまち滞ってしまった。

実業家は事実上、事業の継続を断念し、そこで働いていた全ての労働者に少なからぬ補償をした上で、
その全員を解雇した。彼はここで、それまでに手にした利益の殆どを溶かしてしまったと言われている。
残ったのは買い手のつかない巨大な観光街だけだった。
 
こうして、文字通りの奇跡的なおとぎ話は一旦幕引きを迎えた。知っている話ばかりで退屈したかもしれない。
しかしこれも、私自身が頭の整理をするために必要な過程だったとして、勘弁してやってほしい。

※ ※ ※

13 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:29:55 ID:jDTTQVVk0
通りに沿って立つプラタナスは、手入れを放棄されて好き放題に生い茂っている。
その下を歩いていると、宵闇の暗さも相まって、何か絶望のような空気に抑えつけられている気がした。
 
誰もいない。本当に、人っ子一人見当たらなかった。
守衛にもう少し詳しい情報を聞き出しておくべきだったかもしれない。しかし今更引き返すのも億劫だ。
 
片側にはシャッターが犇めいている。かつては土産物屋や飲食店、ブティックなんかも軒を連ねていたのだろう。
しかし、あらゆる装飾の取り除かれた街路の景色は、没個性をも遙かに凌ぐほど殺風景だ。

もっともそれ自体は、
この街の機能が全て『彩色の奇跡』を際立たせるために存在しているのだと考えれば不思議ではない。
 
私はぼんやりと歩き続けていた。このまま進めば件の洞窟に到達してしまう。
案外と、目的地はすぐそこであるのかもしれない。

しかしそれは、あまりにも神秘的過ぎるのではないか。
歩きながら思考すると、考えがまとまるようでまとまらない。紙とペンが欲しくなってきた。
私が今、何をするべきか……。

14 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:31:56 ID:jDTTQVVk0
やがて、オープンカフェの名残であるらしい丸テーブルと椅子を見つけたので、
どっかと腰を下ろして深いため息を吐く。どれぐらい歩いただろうか。洞窟まであとどれぐらいだろうか。
十五年前はこの道をバスで走ったからいまいち見当がつかない。
 
記憶の捜索から、唐突に現在の両親へ想いが行く。父は昨年会社を定年退職し、今やすっかり隠居の身である。
どちらかというと仕事人間だった父は、これから多くの自由を満喫すべきだったのだろう。
それを妨げているのが私たちであるというのは、何とも情けない話だ。

全てがどうしようもない。どうにかする方法など、何一つ無い。
 
悲嘆を形成しようとする頭の代わりに、私は持ってきた肩掛け鞄の中身をがさがさと混ぜ返す。
何しろ無計画な往路であったものだから、めぼしい道具は何一つ持ち合わせていない。
あるのは財布と電源の落ちた携帯電話……それから家族写真。ミネラルウォーター……。
 
私はそのペットボトルを取って一気に半分ほどを飲み下した。
静けさのせいで、喉の鳴る音が一層鼓膜に響く。その一瞬、よくわからない愉悦のような感情が込み上げてきた。

こんなところで何をしているのだろう……何のためにここに来たのだろう。私の目的とは、一体何だったろう。
考えているうちに許容を超える水が口で渦巻き、思わず咳き込む。

それからまた歩き出した。
ともかく、『彩色の奇跡』までは向かってみようという決心がついたのだ。
例の現象が失われ、剥き出しの岩肌を見て面白くないと思い浸るのも悪い話ではあるまい。

15 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:35:05 ID:jDTTQVVk0
そうやって見栄えの変わらないシャッター通りを歩いていると、向こうから足音が聞こえた。
それに加えて、カツカツと響く金属音。杖でもついているのだろう。私は思わず身構えた。
 
やがて見えてきたのは腰骨の酷く曲がった六十過ぎと思しき老婆だった。
頼りにしている杖の先端だけを見つめ、ゆっくりゆっくりと此方に近づいてくる。
そしてそのまま私に気付かず通り過ぎていこうとしたところへ、慌てて声をかける。

(´・ω・`)「あの、すみません。ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが」

('、`*川「……なんだね」

喉を患っているかのような嗄れ声で、老婆は応じた。

('、`*川「いや、言わなくてもいい。わかっとる。誰を探しに来たんだ。妻か、娘か」

(´・ω・`)「妻です。ご存知なんですね」

('、`*川「お前のことなど知るはずないだろう。けれど、お前のようにこの街にやってきて、
     迷子になる奴らはよう知っとる」

老婆は大儀そうに私を見上げ、吐き捨てる。

('、`*川「面倒臭い奴らめ」

16 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:36:31 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「お気持ちは察しますが、私としては、個人的でかつ重要な問題であるものですから……」

('、`*川「分かっとるわ。行くぞ」

(´・ω・`)「どこに?」

老婆は私が辿ってきた道の方を指さす。その先には、暗がりに敢然と聳える件のホテルがあった。

('、`*川「この時間は皆で夕食を摂っているはずだ。いい加減、案内板でも建てた方が良いのかも知れんな」

これは迂闊だった。灯台もと暗し、などとつまらない形容の仕方をするしかない。
やはり、何も考えずに人を探すというのはあまり合理的では無いようだ。
 
私はまるで人生のように、元来た道を引き返すことにした。
 
※ ※ ※

17 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:38:58 ID:jDTTQVVk0
街についての続き。
 
ゴーストタウンと化した街は、都合三年ばかり放置されていた。
街に付随していた、例えば別荘用の不動産や観光地にふさわしい小売やサービス業、その他細々とした産業は、
一挙に衰退を余儀なくされた。公共交通機関の運行も大幅に縮小されたが、それでも赤字続きだったという。

そのため、一時は廃駅なども検討されたのだそうだ。
あらゆる媒体から街の名前、及び『彩色の奇跡』は姿を消し、
もう二度と人々の話題に上ることは無いように思われた。

元々失われる運命だった街が、三十年ばかりの長い夢を見ていた……そんな、ちょっとした感傷を残して。
 
それが二年前、ある事件の発生によって街は再び取り沙汰されることとなった。
発端はある地方新聞の記事である。
行方不明になっていた若い女性が、その街で歩いているところを保護された、という内容だった。

その女性は数週間前に家族の前から忽然といなくなり、夫が捜索願を出していたのだ。

記事はそれ以上のことを何も書いておらず、続報も無かった。
無論、その事件自体は女性が保護されたことによって終わったものであり、
それ以上何の話題性も無いのだから当然であろう。
 
しかしそれからというもの、今度は二流、三流のタブロイド誌に舞台を移し、
街は幾度となく語られることとなった。
行方不明になった人々が、廃墟となったかつての観光街に集まっているという、奇妙な噂を引っ提げて……。
 
私の見た記事にはある男の体験談が掲載されていた。それは、次のような具合だ。

18 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:40:42 ID:jDTTQVVk0
(-@∀@)「嫁が、ある日突然いなくなったんだ。俺には何の心当たりにも無い。勿論、DVなんてしたこともねえよ。
      前夜までは、そりゃもう仲の良いものだったさ。それが翌朝、突然いなくなってた。
      居間のテーブルに短い書き置きがあって、そこには『分からないために向かいます』とだけ書いてあった。

      もう俺にはさっぱりだよ。家が荒らされた形跡もないし、拉致や誘拐ってわけじゃなさそうだ。
      警察に掛け合っても、まともに取り合っちゃくれない。もうどうしようもなかった。
      自力で探すにしてもまるっきりアテがない。携帯は家に残されたまんまだ。手がかりゼロ。

      取り敢えず警察に捜してもらうよう頼んで、それきりさ。
      もう俺、毎晩泣き明かしたよ。だって俺、愛してたんだぜ、嫁を。
 
      何一つ進まないままに月日が経過した。そして丁度二ヶ月目の真夜中に、俺の携帯が鳴った。
      出てみると嫁の声だ。おい、お前何やってんだ。問い質しても、嫁の答えはどうも要領を得ない。
 
      どこに居るんだって言ったら、例の……『彩色の奇跡』の名前を出した。
      よし、じゃあ今すぐそっちに行くぞ。嫁ははっきりと拒みやがった。
      そして言ったんだ。別れてほしいと。

      そりゃ……ねえ。二ヶ月も行方知れずになった挙句、
      久々の電話で離婚を告げられた日にゃ、俺だって頭にくる。
      
      おい、そりゃ一体どういう了見だ、馬鹿野郎。男が出来たのか。嫁は何とも答えなかった。
      それどころか、淡々と離婚の手続きについて話し始めた。

      巫山戯た話でしょう。しかし、同時にそれが嫁の本心だというのが伝わって……
      なんというか、気後れしちまった。
      嫁は言った。財産分与は放棄する。必要なら、慰謝料も払う。

      そうまで言われちゃ、男として形無しでしょう。
      けど俺だって嫁と別れたくない意地は残ってたから、離婚はしないって言い張ったんだ。
      そしたら嫁はそれでも構わないと。けれど、そちらに戻るつもりもないし、その余裕も無いと。
 
      そして、電話は切れた。それっきりさ。俺はもうどうすりゃいいのか分からんよ。
      無理に踏み込んでも、何も解決しない気がするんだ」

20 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:44:03 ID:jDTTQVVk0
掲載雑誌の質の問題もあり、体験談の一切を鵜呑みにするわけにはいかない。
しかし、その記事を口火に、あらゆる週刊誌、及びオカルト系専門誌に、
似たような話題が続々と取り上げられるようになった。
 
街へ向かう行方不明者には幾つかの共通点があった。

行方不明者には明確な動機が無い。皆、その直前までごく普通の生活を送ってきた一般人だ。
そして、姿を消す際には必ず『分からないから向かいます』という短い書き置きを残す。
そしてしばらくすると、ごく事務的な電話がかかってくる。

もう戻れないという旨、そしてそれに関する問題事項を解決する旨が、
その人に最も近しいと思われる人に伝えられる……。
 
街に乗り込んだ人は、私以前にも何人か居たようだ。
しかし彼らは全員、電話と同じような内容を行方不明者本人から淡々と述べられ、
体よく帰されてしまったという(中には不明者と共に街へ住み着いた者もいるというが、真相は定かでない)。
 
これらは全てタブロイド誌レベルの規模でしか報じられず、
テレビや新聞でこの話題が取り上げられているのを、少なくとも私は見たことが無い。

理由は幾つか考えられるが、その最たる者は行方不明になること自体に、事件性が無いということだろう。
不明者は必ず現れるし、彼らは全員完全なる自由の身でいる。誰かに脅迫されているような形跡は一つも無い。
意識の変遷に些か疑問が呈されるが、あまりにも説得力に欠ける。

それ以上のものが事実として何も見えない限り、大マスコミが追及するネタでもない。
それらは、背後にあらゆる陰謀を夢想する人達の役割だ。

21 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:45:34 ID:jDTTQVVk0
かつて『彩色の奇跡』という、史上最も大規模で不可思議な現象の起きたその土地は、
超常現象の土壌にはうってつけだったのである

事実、面白おかしく取り上げている雑誌群はカルト教団や国際組織、
果ては秘密結社の影を指摘したりもしたが、証拠らしい証拠は何一つ無く、
むしろ取材すればするほどそれらから無縁であることが判明する有り様だったようだ。

最も真実味を帯びていたのはかつてその地で一大産業を築き上げた件の実業家の陰謀という説だったが、
それにも確たる根拠があるわけでもなかった。
 
斯くて、一連の報道はオカルトの域を出ない話題性と、
ニュースバリューそのものの減退によって徐々に誌面での存在感を潜め、
結局は初出から一年足らずで完全に姿を消してしまったのである。

※ ※ ※

22 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:47:53 ID:jDTTQVVk0
ホテルへ戻る途上、私は老婆に質問攻めを仕掛けることにした。

(´・ω・`)「雑誌で見ました。ここに、全国から行方不明者が集まっていると」

('、`*川「全国というより、全世界だな。色んなところから色んな人種が集まっているよ。
     もっとも、数自体はそれほど多くないが」

(´・ω・`)「貴方もその一人ですか?」

('、`*川「ふん、どちらでもないな。だが、ここで暮らす権利はある」

(´・ω・`)「権利? ここで暮らすには何か資格が必要なのですか?」

('、`*川「下らない話だがね。その資格を決めたのは、別に神様というわけじゃない。
      しかし、資格は資格だ。誰にだって従ってもらう」

(´・ω・`)「彼女……妻にはその資格があったのでしょうか」

('、`*川「だからここへ来たんだろう」

(´・ω・`)「そのことは、雑誌には書かれていなかったな」

('、`*川「当然だ。今まで誰にも話していない。間違っても売文の連中に話すものか」

(´・ω・`)「では、それを私に話したのは、私にその資格があるからですか?」

('、`*川「いや。ただ、もう隠し通す必要もなくなっただけでね……
     そういえばお前、風邪でも引いているのかい。ぼうっとした顔をしているが」

(´・ω・`)「まあ、似たようなものです。ところで、貴方は何をしていたんです? 随分遠くに行っていたようですが」

('、`*川「ちょっとした野暮用さね……」

23 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:50:48 ID:jDTTQVVk0
老婆が言葉を濁した辺りで、私たちは駅に隣接した巨大なリゾートホテルの前に到着した。
外からは灯りを確認できない。黒く聳え立つその影を例えるならば墓標か、頑健な焼失……
或いは、データセンター。いずれにせよ、飲み込まれるには多少の度胸が要る。

('、`*川「客を接待する機能はとうの昔に失われておるからな。節電も兼ねて、必要外の電灯は全て消してあるんだ。
     だからお前のように、あちこちうろつき回る奴がたまに出てくる。何とも面倒な話だよ」

(´・ω・`)「その点については謝ります……しかし、それではここにいる人達は何処に集まっているんです? 
      食事すら暗闇で行うわけではないでしょう。ラマダンじゃあるまいし」

('、`*川「地下に宴会場として使われていた広間がある。皆、そこで飯を食うんだ。そして、話し合う」

(´・ω・`)「何を話すんです?」

('、`*川「おかしなことを言う」

老婆は私の方を向いて目を細めた。

('、`*川「話すことなど幾らでもある。話さない方が難しいくらいだ。
     ……しかしあんたは良い時に来たね。今なら、益々話が盛りあがっとる筈だよ」

24 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:52:54 ID:jDTTQVVk0
ははあ、と非生産的な相槌を打つ。そして老婆の後に続いて自動ドアから中へ入った。
恐らくはエントランス的な空間が広がっているのだろうが、薄暗くていまいち見渡し難い。老婆を支える杖の、
鈍い輝きだけを頼りに、足音を吸う絨毯の上を進む。

('、`*川「下りの階段だぞ、気をつけて。……お前、ここへ来たことは?」

(´・ω・`)「中学の頃に一度。もう、十五年も昔になりますね」

('、`*川「そうか。無論、アレは見たんだろうな」

(´・ω・`)「見ましたよ。素晴らしかったです」

('、`*川「ほう、どんな風に」

(´・ω・`)「……当時、テレビで言っていたような具合です」

例えばこんな感じ――
一見珍妙に見える壁画には、我々の本能に問いかける得体の知れぬ迫力がある。
それは理論的に解明できるものでは無い。しかし、だからこそ素晴らしいのだ。

まるで集合的無意識の存在を肯定するかのごとく、
全ての人間に感銘を与えるこの芸術は、真の感動とは分析し得ぬものであると再び説得してくれるのである……。

今にして思えば、随分と人を食った意見だ。
納得できない、しかし納得しなければ嘲られるような、自尊心との格闘を強いる内省的な論評……。

25 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:54:33 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「それはともかく……貴方は夕食を摂らなかったのですか?」

老婆はその問いに答えず、杖で階段を叩きながらかぶりを振った。

('、`*川「お前はわけの分からん男だね。普通、こういう時はもっと質問すべき問題を質問するべきだ。
     色々あるだろう。お前の家族のことや、失踪した理由や……」

(´・ω・`)「そういう核心は、尋ねても答えてくれないと思いまして」

「そうかね。まるで、核心へ近づくのを避けているように聞こえるがね」
 
私が真実を恐れているという老婆の推測は、半分程度当たっていると思う。
だから私はそこで要望通りの質問を投げつけることなく、沈黙することにしたのだ。
とは言え、そればかりが私の心持ちであるわけでは、当然無い。
 
地下二、三階には手頃な広さの宴会場が幾つかあり、更に下ると大規模のシアター・ホールがある。
そしてその下には会員制のクラブやカジノめいたものまで軒を連ねていると言われていた。
あらゆる客層への対応を求められていたこのホテルは階層によって来訪者の品格を大まかに区分けていたらしい。

高層へ上れば上るほど、或いは地下へ下れば下るほど、私たちの手の届かぬ世界が広がっているのだ。
このホテルのエレベーターは、私たちの使うものでは上層、下層の途中までしか移動できず、
逆に賓客のためのそれでは、最上層、最下層付近にのみ向かえる仕組みであったと記憶している。

地下三階まで下りると、光の漏れる大仰な扉が私たちを待ち受けていた。
私は老婆に許可を取ることもせずそれを押し開いた。

26 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:56:19 ID:jDTTQVVk0
まず、映える程度には高い天井が目に入った。
豪華な装飾などはなく、嵌め込まれた蛍光灯が饗応空間に明かりを供している。

そこから徐々に視線を下げる。やはり私は核心に触れたがってはいないようだ。
一般的な結婚式を挙げるには丁度良い広さの場所に、五、六十人程度の人々が、
椅子に座って会話を交わしている。

中には私たちに気付いて視線を向けている者もいるが、さほど警戒しているような節はない。
新興宗教の集会を彷彿とさせるような不気味さもなく、
つまり、そこそこ上流に見える談笑がごく普通に執り行われているようだった。

('、`*川「ところで、お前は嫁さんを探しているのだったね」

(´・ω・`)「……ええ、間違いなく」

老婆の問いに、私は視線を彷徨わせながら答えた。

(´・ω・`)「しかし、ここには居ないようですね」

※ ※ ※

27 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 21:59:19 ID:jDTTQVVk0
妻について。
 
妻に出会ったのは大学二年の時。
所属していた文化系サークルの一つ後輩として入ってきた彼女は、私にとっては最高に可愛らしい女性だった。
私は多大なる努力と多大なるアピール、そしてちょっとした先輩面を使って彼女と付き合うことに成功した。

私にとって彼女は初めての恋人であり、彼女にしても同様だった。
 
それからの偉大なる、愛すべき日々について書き並べていけばきりがない。
だから割愛しておくが、些細な喧嘩に陥ることはあれ、私は常に、誰よりも彼女を愛していたし、
彼女もそうだった(と、思う)。

私たちの関係は周囲に気味悪がられるほど長く続き、大学を卒業して私がサラリーマンに、
彼女が実家暮らしのフリーターになってからも、二人の間柄は何一つ変わらなかった。
 
社会に出てすぐ、彼女に子どもが出来た。もう少し自由に生きていたかったという後悔はあったものの、
いずれそうなることは必然だと互いに考えていたため、私たちはすんなりと結婚をした。
そして夫婦になり、子どもが生まれた。

それからは益々幸福だった。私は私の中で、地上で一番幸せな男よりも遙かに幸せだった。
何一つ懸念は無かった。仕事は波を受けながらも順調で、妻との関係も、息子との関係も良好そのものだった。
当時の私はたぶん、人生の中で最も小市民として死んでいくことに妥協が出来ていた時期だと思う。

ただ、そんな人生はある日、驚愕すべき形で終焉を迎えた。息子が車に撥ね飛ばされ、逝ったのだ。

28 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:02:20 ID:jDTTQVVk0
……あの時のことを想起するたび、私はもう少し感傷に耽るべきなのかもしれない。泣きくれても良いはずだ。
不幸が訪れてまだ一年も経っておらず、一般的に傷が癒えるほどの時は過ぎていない。
 
だが、息子が逝ったときもそうだった。病院で青ざめた息子に対面したときも、
葬式で喪服に身を包み、弔辞を読み上げたときも、暗い焼却炉で骨になった彼を摘んだときも、
私は一滴の涙すら零さなかった。
 
妻はそうではなかった……当然だ、そうあるべきだ。死の直後こそ冷静を装っていたが、
通夜を済ませた辺りで彼女は、乱暴に言えば発狂した。咆吼のごとき号泣で数夜を明かし、
そして身近な人物……つまり私に、ある種哲学的な問題を何度もぶつけた。

何故あの子は死んだの。何故死ななければならなかったの。何故。
何故……最もどうしようもない疑問詞だ。その答えが得られる場合は驚くほど少ない。
 
私も当然、彼の死の意味について考えた。忙しいぐらいに考え続けた。
だから私は涙の一つも出なかったのかもしれない。私の涙は、答えを導き出せるまでお預けを食らったのだ。
しかし、答えは出なかった。いつまでも私は泣かなかった。今日まで、一度も。
 
それゆえ、私と妻は同じような心境でいたのだと信じている。
表現方法が少し異なっていただけなのだ。ただ、そんなことは妻には理解できまい。
彼女は、涙の一つも見せぬ私を、もしかしたら恐怖さえしていたのかもしれない。

それは仕方ないことだと思う。思えばそれは、私と妻の間における、唯一にして最大の齟齬だった。
不幸の帳が降りて以来、私たちは極端に互いへの干渉を避けるようになった。
お互いがお互いの世界へ消え入りそうだった。

29 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:06:31 ID:jDTTQVVk0
そして数ヶ月後、妻は唐突に失踪した。私は、それが必然であるかのような錯覚すら感じた。
だから、テーブルに置かれた『分からないから向かいます』という短い書き置きが、
以前に雑誌で見た噂の通りであるのか、それとも彼女の本心なのか、判別に苦しんだものだった。
 
妻が失踪したのは一ヶ月ほど前。私は今日まで、一度も彼女を捜そうと思わなかった。
私の説得など関係なく、彼女は戻るべき時には戻るし、その日が来なければ永く消えるだけだと感じたからだ。
信頼ではなく、逃避に似た心持ちだった。

※ ※ ※

30 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:09:20 ID:jDTTQVVk0
('、`*川「ここに居ないとなると、もう部屋に戻っておるのかもしれんな」

老婆は軽く頷き、私を見上げた。

(´・ω・`)「探してきてやろう。嫁の名は?」

私が妻の名前を告げると、老婆は幾分複雑そうな表情を見せた。深く溜息を吐き、背後の扉へ振り返る。

(´・ω・`)「……もしかして、妻はここにいないのですか?」

('、`*川「いや、そういうわけじゃない。ちゃんとおるよ、心配ない」

彼女はそう言い、後ろを向いた。

('、`*川「暫くここで待っていると良い」
 
そうして、案外と身軽な動作で扉の外へと消えていく。
手持ち無沙汰になった私は改めて前を向く。すると、こちらへ近づいてきている四十路近辺の男と目が合った。
スーツ姿の紳士……整った髪型は、私に職場の上司を思い起こさせた。

31 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:12:20 ID:jDTTQVVk0
(´・_ゝ・`)「初めまして」

彼はそう言うと右手を差し出す。何の気無しにそれを握ると、男は深く頷いた。

(´・_ゝ・`)「そう、その通り。何もかも、握手無しには始まらない」

(´・ω・`)「貴方は、ここに住んでいる方ですか?」

(´・_ゝ・`)「ええ。どうです、貴方もご一緒に。丁度、面白い話をしていたところなんですよ」

紳士はそう言って私を、彼らの円卓へと案内してくれた。
数人の男女がテーブルを囲み、何やら熱心に話し込んでいる。
私が近づくと、彼らは緩い笑みを浮かべて空いた椅子を示してくれた。

32 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:15:28 ID:jDTTQVVk0
(´・_ゝ・`)「ようこそ、この場所へ」

白い絹で覆ったパイプ椅子に座った私へ、先ほどの紳士が再び挨拶を始める。

(´・_ゝ・`)「貴方は意識的にここへ? それとも、誰かを探しておられるのですか?」

(´・ω・`)「人捜しの方です……迷子になっていたところを、お婆さんに助けられて、ここに。
     ……そういえば、あのお婆さんは何者なんです?」

(,,゚Д゚)「婆さんは爺さんの妾だよ」

向かいに座る筋肉質の男が吐き捨てるようにして言う。

(,,゚Д゚)「愛人って奴だな。最も、今じゃただの付き人って具合だが」

(´・ω・`)「爺さんと言うのは?」

(,,゚Д゚)「決まってる、この街のパイオニア……嘗て世界で最も成功したビジネスマンだよ」
 
『彩色の奇跡』を発見し、この街を街と成し、一大産業を築き上げた実業家が、失踪の黒幕であるという。
週刊誌の推測は的を射ていたと言うことになる。
さながら下手な鉄砲だった推論を称揚する気にはまるでならないが。

33 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:18:35 ID:jDTTQVVk0
それよりも気になるのは、卓を囲んでいる面子である。

全員が、示し合わせでもしていたかのように、ちぐはぐの身分である風に見える。
最年長は私の右隣に座っている好々爺然とした老人、最年少は恐らく、
その向こうで澄ましている女子高生風の少女であろう。私を含めて全員で六名、共通点は何も無いようだ。
 
他のテーブルを見遣ると、そこでも果てしも無い議論が繰り広げられているようだった。
数は少ないが、外国人ばかりで占められている卓もある。
どうやら、失踪者の集会は世界規模で行われているらしかった。

ミセ*゚ー゚)リ「じゃあ、お話を続けましょうよ」

私たちの円卓で、三十手前のキャリアウーマンらしい容貌の女性がせがむ。

ミセ*゚ー゚)リ「先ほどは、どこまで話を進めていたかしら」

(´・_ゝ・`)「ああ、定義づけをしようと言うところまで話したな」

紳士が呟き、私に会話への参加を促した。

(´・_ゝ・`)「貴方はどう思われますか。我々は今、不幸の定義づけについて話していたところなんです」

34 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:21:28 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「……何ですって?」

(´・_ゝ・`)「不幸ですよ。例えば、別々の人が全く同じ体験をしても、
      それによって感じられる不幸は人それぞれ違う程度じゃないですか。
      これはどういうわけか、そして不幸の基準をどのように取り決めればいいか、という話です」

*(‘‘)*「やっぱり、過去の体験が基準になるんじゃない?」

女子高生がフランクにそう述べる。

*(‘‘)*「初恋だと、フラれた時にすごいショックだけど、五回目だとそんなでもない、みたいな。
    慣れっていうか……ま、慣れればいいってもんじゃないだろうけど」

( <●><●>)「だが、未来も関わっていると思う」

と、少女とは最も歳を隔てている老人。

( <●><●>)「残された未来の日数が減るにつれ、不幸の衝撃も減じる気がするんだ。
        つまり、不幸は人生おいて、浪費に似たものではないだろうか。
        そして浪費を悔いる思いは、その日々の重要さに比例する」

35 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:25:31 ID:jDTTQVVk0
(´・_ゝ・`)「ああ、なるほど……お二人の意見を総括すると」

と、紳士。

(´・_ゝ・`)「不幸には時間が関わっているのですね。現在だけの事象ではない……
      ふむ、実に納得できる意見ではありますが、こうして纏めると少し在り来たりであるように感じられますね」
 
私は一抹の不気味さを感じた。
不幸などと言うつかみ所のない問題を、老人が論じるのはまだ分からなくもない。
しかし、女子高生までがその議題に嬉々としているのはどういうことだろうか。

私と同年代であるはずのキャリアウーマンも津々と興味の尽きぬといった顔で聴き入っている。共感しがたかった。
私たちの世代は、普段もっと別の話題で盛り上がっているはずだ。
バラエティー番組とか、来週の飲み会とか、人事制度への愚痴とか、経理課の女子社員が寿退職するとか……。

何にせよ、こんな会話に人生を費やす時期では無い筈である。

(´・_ゝ・`)「どう思われます?」

気がつくと、全員が私の顔をのぞき込んでいた。

(´・_ゝ・`)「貴方にも、是非知恵をお貸し頂きたいのですが」

36 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:28:46 ID:jDTTQVVk0
私は腕組みをして考え込むふりをした……いや、実際に考えることにした。
誰もが、本気で私の答えを待ち構えているようだったからだ。

今までに、利害が絡む問題以外でこれほど真剣に言葉を求められたことがあっただろうか。
そう思うと得も言われぬ快感すら競り上がってくるが、背筋のこそばゆい感覚は拭えない。
 
やがて私は、意見の体を成しているのか分からない、実に日和った答えを呈した。

(´・ω・`)「結局は、不幸を感じる人がどういう人であるか、という部分に集約されるのだと思います。
      つまり、その人が不幸に対してどの程度の耐性を持っているのか。
      そして、不幸は概して個人的な問題です。

      先ほどの例で言えば、失恋を悲しむのは自分自身に他ならない。
      相手の不幸を悲しむという感覚だって、自身の空白に似た心情を埋める代償行動に過ぎないわけです。

      何故そんな行いをするか。それは、自分自身に、まあ最低限の価値ぐらいはあると信じているからです。
      自分が重大な病を患った時、それを不幸と感じない人は、別段自分の命に意味を感じていない人でしょう。
      それが淋しいかどうかはともかく、不幸とは要はそのようなものだと思うのです。

      その人が感じる不幸の強さは、自意識の高さに反比例するのではないかと……」

※ ※ ※

37 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:32:37 ID:jDTTQVVk0
その後も議論は続いた。そしてその内、誰からともなく止んだ。答えは出ずじまい。
幸い再び発言を求められることは無かったが、紳士に最初の発言への、いかにも社交辞令的な賛辞を受けた。

(´・ω・`)「皆さんは、いつもこんな事を話し合っているのですか?」

と、私は全員に向かって問うた。

(,,゚Д゚)「ああ、大体いつもこんな感じだ」

筋肉質の男が応じる。

(,,゚Д゚)「昨日は宇宙に果てがあるのかどうかについて語った。一昨日は四次元世界についてだったな」

(´・_ゝ・`)「私たちは大抵、分からないことについての話をするのです。その方が、浪漫があるじゃ無いですか。
      ここに来るまでは見知らぬ者同士であったわけですし、小さな世界での話よりも、
      そういった大きな疑問の方が会話を弾ませやすいのです」

紳士の言葉に、私は一応納得する。ただ、それにしたって随分と変わった趣味の持ち主達だ。
もっとも、このような場所で共同生活をしているような人々と、考えが同じであるはずもないのだが。

38 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:35:29 ID:jDTTQVVk0
(´・_ゝ・`)「それにしても、貴方の考え方はこの場所にぴったりですよ。
      外部からやってくる人と話を合わせる事に、いつも苦労しているのですがね」

(´・ω・`)「……それはどうも」

( <●><●>)「その若さにしては、酷く淡々としておられる。
        希望も絶望も、全てを同じ感情で受け入れる準備が出来てしまっているようだ。
        まるで、空から爆弾の降ってきた時代を過ごしてきた風にも見える」

老人の言葉に、私の顔が虚を衝かれた表情を作る。
素直に言い当てられたことを認めたいような、しかし自分の中で整理のついていない感じ……。

(´・ω・`)「私には、些か不思議なのです。
      大きな問題は、ほぼ必ず解答を得られない。それは途轍もなくもどかしいことではないですか。
      そして、何一つ前に進まないのに、心の中に蟠りばかりが山積していく……。

      それに何の意味があるのでしょう。
      それは、それに費やした時間に釣り合う見返りを期待できるものでしょうか」

( <●><●>)「なるほど、なるほど、よく分かる。大抵の人にとってはそうだ。
        大きな問題は、解決出来ないがために鬱屈とした怒りを生む。
        我々が人生を歩んでいく上で、絶対に付き合っていかねばならない類いの怒りだな。

        我々が求めているほど、世界は答えを用意してくれてはいない」

(´・ω・`)「失礼ですが、貴方はもう、随分お歳を召しておられますね。
      ならば、残された時間の価値について、最も関心を寄せているはずではありませんか……
      いえ、否定しているわけではないのです。しかし、どうも私には共感しがたく……」

39 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:38:35 ID:jDTTQVVk0
言いながら私は、こんなに滔々と喋るのは久しぶりだな、と思った。
例え無意味に感じられても、大きな問題を論じる時には多少なりとも脈拍値が上昇するものであるらしい。

そして私には、はたと思い当たるものがあった。
二ヶ月前、妻が残したメッセージの内容だ。彼女が『分からない』こととは、
今まさに話し合っていたような大きな問題についてでは無かったのだろうか。

もしそうだと仮定すれば、この議論自体がサブリミナル的な洗脳である可能性も考えられる。

それについて老人が答えを寄越してくれるよりも前に、私が入ってきた扉が勢いよく開かれた。
老婆が戻ってきたのかと思ったが、違った。そこには私と同じぐらいの年齢の男性が、息を切らせて立っている。

( ・∀・)「おいみんな、大変だ」

彼は空間全体に十分行き渡る大きさの声で全員に呼びかける。

( ・∀・)「死人が出たぞ」

40 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:41:50 ID:jDTTQVVk0
その言葉に、真っ先に反応したのは同じ卓の紳士だった。
彼は立ち上がり、一直線に叫んだ男の元へ向かう。
そして幾らかの会話を交わした後、私たちの方へと引き返してきた。

(´・_ゝ・`)「すみません、男性の方は手伝っていただけますか。いつもの通り、処理しますので」

(´・ω・`)「何があったんです?」

思わず私は訊ねる。

(´・_ゝ・`)「半月ほど前にここへ来た白人の男性が、先ほど首を吊って自殺したようなんです。
      まあ、ここでは珍しくもないことです。場所は彼が使っていた私室……
      元は客室だったところで、六階にあります。

      遺体をそのままにしておくわけにもいきませんので、男手を使って運び出し、
      共同墓地として使用している近くの公園に埋葬するのです。

      もっとも、今日のうちに全てを済ませようというわけではありません。
      ともかく遺体を動かしてベッドに寝かせておきます。埋葬は明朝に行われるでしょう」

41 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:44:45 ID:jDTTQVVk0
紳士は淀みない調子で私に簡単な説明をしてくれる。
恐らく、この手の質問を何度もこなしてきているのだろう。
もしかしたら、彼はこの中で一番ベテランなのかもしれない。

(´・_ゝ・`)「そこで、諸々の作業を協力してやらねばならないのですが……」

(,,゚Д゚)「勿論、俺は行くぜ」

筋肉質の男が立ち上がる。

(,,゚Д゚)「しかし奴め、くたばっちまったんだな。いつかはそうなる気がしていたが……」

(´・ω・`)「すみません、私もついて行って構いませんか。邪魔になるかもしれませんが……」
 
咄嗟に私がそう申し出たのには理由がある。
一つは、今のやり取りで解消しておきたい疑問点が生じたこと、
そしてもう一つは、彼らの習慣というものを少しでも目の当たりにしておきたかったからだ。

紳士はやや驚いた表情で私を見たが、

(´・_ゝ・`)「決して楽しい行為ではありませんよ」

という言葉の後に承諾してくれた。

42 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:47:36 ID:jDTTQVVk0
私たち三人と、呼びにきた男を合わせた四人でエレベーターの方へ向かうことになった。
これからの作業を思って憂鬱を噛み締めるのかと思いきや、
部屋を出た途端に筋肉質の男が細かい息を吐いて話し始めた。

(,,゚Д゚)「この場合、死に遅れとでも言うんだろうな。ブームはとうに過ぎたってのに」

(´・_ゝ・`)「仕方ありませんよ。彼はまだ、来て間もなかったのですから」

と紳士。

(´・_ゝ・`)「とは言え、ここまで生きてきたからには、最期まで共にしたかったですがね。残念なことです」
 
婆さんに伝えてくるという呼びにきた男をエレベーターに残して、私たちは六階で降りた。
さして広くない廊下の両側に多くの扉が並んでいる。

昔のことは、やはり思い出せなかった。
こんな具合の一般的なホテルの一般的な個室に宿泊したイメージは取り出せるが、
それが確たる記憶であるという証左はまるでないのだ。

(´・ω・`)「そういえば」

件の外国人が住んでいたという部屋へ向かう途中、私は気になっていたことを訊くことにした。

(´・ω・`)「ここでは、自殺は珍しくないのですか?」

(,,゚Д゚)「ああ、十日ほど前に結構死んだ。あの時は大変だったな。てんてこ舞いだった。
    どいつもこいつもメンタルが弱すぎるんだよ、最期の瞬間まで生き続けるって気概が無い」

(´・ω・`)「最期の瞬間?」

(,,゚Д゚)「もうすぐ、みんな死ぬんだから」

43 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:50:00 ID:jDTTQVVk0
何やら彼が重大な事実をさらりと言ったような気がした直後、紳士が「ここです」と立ち止まった。
当たり前だが、何の変哲も無い普通の扉がそこにはある。

私は何となく道徳を重んじ、口を噤む。紳士はポケットからマスターキーと思しき鍵束を取り出して扉を開錠した。
そして真っ先に室内へ入り、残った私たちに手招きをする。

若い風貌の白人は、天井に器用に引っかけたカーテンで首を吊り、窓の外を見ながら死んでいた。
垂れた舌が乾ききっているように見える。話に聞く汚物のようなものは見当たらず、安堵できた。

自殺した遺体に直面するのは初めてだったが、さほど衝撃的でもなかった。
目の前の死が現実離れしているように感じているのかもしれない。
そう思うと、男の遺体が何だか滑稽なものであるように見えてきた。

それは、先ほど円卓で大きな問題を取り扱っているときの心情に似ていた。
 
窓外は既に夜の景色だった。最低限の灯りが街路を照らしているのを眺望しながら、三人で遺体を下ろす。
魂のいなくなった彼の身体は外見よりも重く感じられた。まだ温かいような気もする。
ベッドに寝かせて布団を掛けてやると、神聖な匂いが漂ってくるようだった。

誰からともなくその姿に手を合わせる。しばしの沈黙、やがて紳士が顔を上げた。

(´・_ゝ・`)「さて、後は明朝ということになります。お疲れ様でした」
 
やけにあっさりとした流れ作業だった。死とはこの程度のものなのだろうか。
今まで私が立ち向かってきた死は、どれも丁重に扱われてきたものだった。
少なくともその瞬間、死に行く人は多くの人々にとって物語の主人公だった。
 
今、目の前の死にふさわしい尊厳は与えられているだろうか。
本来ならば彼を、親族の元にでも帰してやるべきなのかもしれない。
だが、互いの素性を理解していないこの場所で、その手続きは決して容易なものでないだろう。

当たり前の事だが、私たちは死すら事務的に考えなければならない……。

44 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:53:49 ID:jDTTQVVk0
('、`*川「ああ、ここかね」
 
背後から声がし、振り返ると老婆がこちらに向かって歩いてきていた。
彼女はベッドの遺体を少し見遣った後、私たちに労いの言葉をかけてくれた。

('、`*川「特にお前は、今日ここに来たばかりなのに手伝わせてしまってすまんな……
     ああ、そういえばお前の嫁、二十七階の九号室にいるぞ。会いに行ってやれ」
 
そうだった、私の本来の目的はそれだったのだ。
目まぐるしいばかりの光景に忘れかけていたばかりか、あまつさえこの場所への興味に気を取られてしまっていた。
私は、もっとこの街を、場所を理解したかった。その必要も無いのだろうが、知的好奇心を擽る何かがここにはある。
 
私は不意に緊張を感じた。ようやく妻と相対するという現実。
一言目に、私は何と言うべきなのだろう。そして、それからどのような会話をすればいいのだろう。
妻は私に何を語るだろうか。
 
老婆と紳士、筋肉質の男に頭を下げ、私はエレベーターで二十七階へ向かうことにした。

※ ※ ※

45 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 22:56:48 ID:jDTTQVVk0
二十七階へ向かうには、少々面倒な手続きが必要だった。
まず一階まで下りてから、高層用のエレベーターに乗り換えなければならなかったのだ。

それは妻のいる場所が、我々庶民とは一線を画していることを示唆していた。
妻はそこに居住しているのだろうか。その厚遇には、一体どのような意味があるのだろう。
 
ここに来てから疑問ばかりが浮かんでくる。そして、どれ一つとして解決していない。
目下のところ最も気に掛けなければならないのは、筋肉質の男が言った「もうすぐみんな死ぬ」という一言だろう。
そこには冗談めいた雰囲気は感じられなかったが、同様に深刻な表情も垣間見えなかった。
 
あの時にもう少し詰問しておくのも一つの手段だったが、どうせなら妻に一括して訊ねた方が効率的だ。
この変哲極まりない場所で、最も信頼できるのが妻であることは間違いないのだから。
 
そこまで考えたとき、私は私が妻に逃げられた夫という身分であることに初めて自覚した。
まるで、今の今まで完全に忘却していたようだ。そんな私に、彼女が素直な回答をくれるだろうか。
だがその事に気を回したときには、私はもう彼女の部屋の前まで到着してしまっていた。
 
ほんの少し躊躇してから、ドアを恐る恐るノックする。
数秒と経たずに、中から暫く聞いていなかった声が返ってきた。妻の声。
ドアを開ける。ベッドの端に座り、テレビを観ている彼女の後ろ姿が見えた。

46 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:00:50 ID:jDTTQVVk0
私は黙って妻に近づいた。妻は身じろぎ一つせず、明日の天気を眺めている。
彼女のすぐ傍まで歩み寄っても、私はまだ喋らなかった。そのまま二人で来週一週間の予報を観ていた。

ζ(゚ー゚*ζ「……ちょっと、まさかそのまま黙ってるつもり?」

(´・ω・`)「ああ、いや。その……来たんだ」

ζ(゚ー゚*ζ「ええ、お婆さんに聞いたわ」
 
質問が口から一気に溢れそうになった。こんなことなら箇条書きにでもしておけばよかったんだ。
頭の中で必死に言語の順番を並び替える。そういえば、彼女の声は普段のそれと何一つ変わらなかった。
それだけで、その声を聞けただけで、私には最早十分であるような気がした。

再会の喜びよりも、日常の尊さが私を支配していた。

(´・ω・`)「つまり……僕は今非常に混乱しているんだ。君には訊きたいことが幾つもある。
     君自身のことや、この街のこと……それを全部消化するには、少々時間がかかってしまうようなんだ。
     それでも構わないかな」

ζ(゚ー゚*ζ「ええ。でも、まず私から質問してもいいかしら」

(´・ω・`)「……何だい」

47 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:03:29 ID:jDTTQVVk0
初めて彼女がこちらに振り返った。愛すべき妻だ。その妻の、ほんの少し暖かみのある表情だ。
私はその姿を、何枚かスナップ写真にして脳裏に貼り付けた。

そこで彼女が投げかけてきた質問は、私の利己意識を少々抉るものだった。

ζ(゚ー゚*ζ「何故ここに来たの? この場所を知った理由は見当がつくわ。
      けれど、それならその後の展開にも感づいているはずよ。それなのに、何故?」

妻は私を真っ直ぐに見つめていた。新婚当時以来かもしれない。

ζ(゚ー゚*ζ「別に責めてるわけじゃ無いのよ。純粋な好奇心みたいなもの」

その目の色には何かが欠けていた。
私は返答と並行してその正体を考え、もしかしたらそれは愛情ではないのかと思いついた。

愛情、とは少々誇張した表現であるかもしれない。
けれどそれに似た諦観が私への表情に埋め込まれているようであるのは否めない。

(´・ω・`)「その質問は分かる。でも、僕にだって言い分があるぞ。
      そもそも、君が先に何の断りも無く家を出て行ったんじゃないか。
      その事を尋ねたいなら、まずは僕の質問に答えるべきだと思うけれど」
 
そのまま見つめ合って数秒、妻は軽く頷いた。

ζ(゚ー゚*ζ「そうね、その通りだと思う。本当、いつも理詰めばっかり得意なんだから」
 
先に質問権を得られたのは喜ばしいが、少々空気が険悪になってしまったような気がする。
普段の口喧嘩と同じようなパターンだ。彼女の感情論に、私が屁理屈のような論理で反論する……。

48 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:06:29 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「まず、聞かせて欲しい。君が何故家を出て行ったのか。そして、何故ここに来たのか」
 
その問いは、まさしく核心だった。ほんの少し、私自身が後悔するほどに。
だが私は、どこかでその問いに自らの内にある時間稼ぎの意図を感じていた。

ζ(゚ー゚*ζ「……そもそもの原因は分からないわ。
 
      あの日、いつもより早めに目覚めたとき、不意に頭にイメージが浮かんだ。
      それだけじゃなかったわ、私はまるで、誰かに操られているかのようにメッセージを残し、
      ほんの少しの日用品だけを持って家を出た。そのまま真っ直ぐここへ来たわ。

      お婆さんが出迎えてくれて……」

(´・ω・`)「つまり、君は誰かに洗脳されていると言うわけか。
     拉致誘拐の類いでは無いにせよ、自分の意思でもない……」

ζ(゚ー゚*ζ「当初はね。今は違う。少なくとも、自分の意思でここに滞在していると信じてるわ」
 
雑誌の情報通りだった。
妻にせよ、階下で議論を交わしていた人々にせよ、自らの意思でここに留まり続けているのは確かなようである。

49 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:09:46 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「では、何故ここに居続けているんだ?」

ζ(゚ー゚*ζ「……それをあなたに説明するのは難しいわ。だって、あなたにはイメージが見えていないのでしょう?」

(´・ω・`)「イメージというのは? 先ほども言っていたけれど、それが見えたからここに来たわけだ」

ζ(゚ー゚*ζ「それを説明するのも、難しいのよ。
       あくまでも頭の中の存在であって、実際にあるものの記憶というわけではないわ。
       使い古された言葉で表現してもいい?」

(´・ω・`)「例えば?」

ζ(゚ー゚*ζ「深淵がこちらを覗き込んでいる、というような……」
 
確かに聞き慣れた言い回しだが、具体性が伴わない。そもそもイメージとは何なのだろう? 

彼女の口調からは、何かそれが見える者と見えない者の間に絶対的な隔絶があるように感じられる。
そしてそれが、彼女が突然出て行った本質的な理由であるという、一見冗談のような弁明も、
彼女にしてみれば合理的であると思えるらしいのだ。

50 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:12:47 ID:jDTTQVVk0
ζ(゚ー゚*ζ「貴方に何を言っても伝わる気がしない。
       だから私も、他の人と同じように冷めた態度で貴方を追い返すべきなのかもしれない」

妻は、どちらかというと他人事のようにして言った。

ζ(゚ー゚*ζ「いつもはお婆さんも同席するのよ。事務的なお話をするためにね。けれど、私は今特別だから」

(´・ω・`)「特別?」

ζ(゚ー゚*ζ「ええ。お爺さんのお世話をしているの。指名されたのよ」

(´・ω・`)「世話……介護かい。食事を与えたり」

ζ(゚ー゚*ζ「ええ、下のお世話とか、単純な話し相手とか……」
 
私は何とも言えず、淋しいような気持ちに陥った。略奪愛の被害者になった気分だ。

ここまで、自覚できる程度に淡々と物事を見過ごしてきたつもりだったが、
彼女が赤の他人であるはずの実業家をお爺さんと呼び、その介護までもを任されているという事実は、
把握しきれないほどの違和感を頭に生んだ。

(´・ω・`)「実業家は、死にかけているというわけだ」

ζ(゚ー゚*ζ「ええ、もう先は長くないわね……」

51 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:15:23 ID:jDTTQVVk0
妻は何か言おうとして一旦口を噤み、逡巡の後に再び喋り始めた。

ζ(゚ー゚*ζ「ごめんなさい、もしかしたら混乱しているのではないかしら」

(´・ω・`)「ん、何が?」

ζ(゚ー゚*ζ「貴方にとって多くの知らない事実が、ここで吹き込まれたと思うの。
       それは私のことだけじゃなく、もっと大きな範囲での物事が……。
       貴方、まだ来て間もないんでしょう? 頭の整理が追いついていないんじゃないかと思って」

(´・ω・`)「確かに、驚くべき事が沢山あった。でも、然程複雑ではないような気がする。
      君がいなくなったことも、この街に辿り着いたことも、
      一つの線で結ぼうと思えば不可能ではない気がするんだ。

      その延長線上に何があるのかは分からないけれど」

ζ(゚ー゚*ζ「貴方は昔から、考えすぎるほどに考えているのね。大体正解よ。
       全てが繋がっていることも、その先に、根本的な原因があるということも。
       けれど、最もややこしいのは、その原因なのよ」

(´・ω・`)「僕程度の頭じゃ、その原因に追っつかないとでも?」

ζ(゚ー゚*ζ「もうすぐみんな死ぬのよ」

(´・ω・`)「ああ……ん?」

ζ(゚ー゚*ζ「『彩色の奇跡』は走馬燈だった。
       あれを見た人も、見ていない人も等しく、近々やってくる終わりの時に、一斉に死んでしまうのよ。
       ね、追っつかないでしょう?」

※ ※ ※

52 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:17:57 ID:jDTTQVVk0
私たちの間における何よりも大きな齟齬は、もうすぐみんなが死ぬという未来が、
妻には常識的な事実として身体に染みついてしまっていると言うことだ。
いや、彼女だけでなく、この街の住人全てにとって目前の死こそが、唯一にして最大の共通認識なのであろう。
 
もうすぐ死ぬ……当たり障りのない表現だ。
彼女の言葉を鵜呑みにするならば、人類という種そのものが、誇張でも何でもなく絶滅すると言うことになる。

それはどういうことだろう? 
唐突に六十九億全てに想像を巡らせるのは土台無理な話だ。
私はその言葉を、出来る限り最小化して解釈することにした。

(´・ω・`)「と言うことは……死ぬわけだ。君も、僕も」

ζ(゚ー゚*ζ「ええ」

53 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:22:11 ID:jDTTQVVk0
彼女の説明を要約すると以下のようになる。
 
そもそもこの場所へ集まってきた人々は、当初自らの来訪の意義を解明するところから始めなければならなかった。何故自分たちがここへ来たのか分からない。しかし、帰るつもりもない……
自分と、自分以外では何らかの隔たりがある。それだけは確信できていたらしい。
 
集まった全員の頭に、一定のイメージがあった。
ぎこちないやり取りでそれらが共通のものであることが分かり、次にはそのイメージが、
死に関するものであると理解した。

それでも、まさかそれが『彩色の奇跡』に関係し、あまつさえ全世界に影響が及ぶとは考えもしなかったらしい。
更に考察を続けようとしたとき、人々は件の実業家、そしてその昔の愛人であった老婆と邂逅した。
全員の意見を総合し、議論を重ねた上で、最終的に仮説をたてたのは実業家だった。

誰もが等しくそれを受け入れたのは、恐らくイメージという名の超常現象を既に体験していたからだろう。
この辺り、カルト宗教の論理に通ずるところがある。
 
そうして人々は彼らなりの真実を掴むことが出来た。
しかしそれが、自分たち以外の人々に納得できるものではないということも、同時に悟っていた。

だから彼らは決して外部にそれを漏らさぬようにし、ただひたすら世間と隔絶された者として、
この街で最期の時を過ごす決断を下したのである。
 
……ちなみに、雑誌に書かれていた、失踪から電話がかかって来るまでの二ヶ月という期間は、
それらの議論の成熟、また必要な手続き――大半は、諸々の費用を全て実業家が負担するという手続き――
を待っていたためであるそうだ。今では、もう少し早めに全てが済まされるのだという。

54 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:25:14 ID:jDTTQVVk0
ζ(゚ー゚*ζ「お爺さんの具合が急に悪くなって、寝たきりになってしまったのが半月前ぐらい。
       ちょっとした騒ぎになったわ。死の迫力に耐えられなくて、自ら死を選ぶ人も沢山いた。
       やっぱり、頭の中のイメージ以上に、お爺さんの危篤は具体性があったんでしょうね」

(´・ω・`)「もう真実を隠す必要が無いと言われたが、そういうわけだったのか」

ζ(゚ー゚*ζ「うん、だから私は貴方と二人きりで、包み隠さず全部を話せているのよ。
       お婆さんは、もう一ヶ月ももたないと考えているみたいね」

(´・ω・`)「しかし、どうして実業家の危篤がその他大勢の命を脅かすんだい? 
     それとこれとは別の話ではないだろうか」

ζ(゚ー゚*ζ「仮説に含まれているのよ。お爺さんの死こそが、みんなの死であると……。
       何故なら、『彩色の奇跡』を発見したのは、他ならぬお爺さんなのだから」
 
……最早何も驚くことはあるまい。彼女の理屈は、正直なところまったくもって意味不明だったが、
それを彼女が真摯に主張していることは流石に分かる。ならば、私は真実として受け止めざるを得ないではないか。

(´・ω・`)「君たちの頭にあるイメージは、あの『彩色の奇跡』が走馬燈であり、
      それを見つけた実業家の存在にも、運命的な意図があると示しているわけだね」

ζ(゚ー゚*ζ「何より、当時『彩色の奇跡』があんなに評判になったこと自体、他に説明のしようが無いでしょう。
       貴方も観たでしょう? 私も子どもの時に観たわ。なぜだか分からないけど、素晴らしいと思った。
       でも、あれが走馬燈だと思えば、大評判にも説得力がつくと思わない?」

56 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:29:05 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「……うん、そうだね。そうなんだろうね」
 
私は軽くいなすような返事をする。私のような一般人からしてみれば、
彼女の主張は――例え直近の事実であるとしても――詐欺まがいの言説にしか聞こえない。
何一つ追っつかないのだ。真剣な表情の彼女にも、理解の及ばぬ自分にも、私は等しく苦々しい思いを抱く。

コミュニケーションの不全もここまで過剰であると、劣等感すら覚えられない。
 
私に向かっている妻の表情が、ほんの少し暗くなったような気がした。
無理解に気付いたのだろう。口を尖らせ、肩を落とした。

ζ(゚ー゚*ζ「……やっぱり、分からないのね。そうだろうと思ったけど」

(´・ω・`)「君の真意は、分からないでもないよ。でも、手段が間違っているような気がするんだ。
      君に限らず、街の住人全員の手段がね。もっとスマートなやり口があったろう。
      僕はさっき、階下で変な議論を交わしてきた。その時は意味が分からなかった。

      あんな問題に、真剣に取り組んでいる意味がね。
 
      でも、もうすぐみんな死ぬと、全員が思い込んでいるなら仕方が無い。
      ああいう話をする価値もあるだろう。でもやはり、衒学的過ぎるんじゃないかい。もっとすべきことが……」

57 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:33:06 ID:jDTTQVVk0
不意に私の口から言葉が途切れた。言葉は、妻の奇妙な表情によって掻き消されてしまったらしい。
彼女は、まるで涙を流さずに泣いているようだった。

ζ(゚ー゚*ζ「貴方はいつも正しいわ。私だって、そう思うもの」

彼女はそこで台詞を切り、微かに憂鬱を付け加えた。

ζ(゚ー゚*ζ「でも、そういうものだと思わない? 
       だって、あの子が死んだとき、私は貴方に同じような気持ちだったんだもの」
 
……それは、予想だにしていなかった反撃だった。私は思わず黙りこくった。
預けたままの息子の死への涙を思いだし、それでも不可思議なほど冷静だった。
ただ、声ばかりがつっかえている。
 
無論、彼女が忘れているはずもない。例え世界的な死が待ち受けていると予感したとしても、
息子の死がそれよりも重要であることは言うまでもないのだ。
それを知ると、彼女の顔つきが涙を堪えるものに見えてきた。

59 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:37:14 ID:jDTTQVVk0
ζ(゚ー゚*ζ「……ええ、勿論忘れてなんかいない。私は確かにここに住む決断をしたわ。
       貴方に全てを伝えることが無駄だと感じたし、それは今でも変わらない。
       でも、一時たりともあの子を、家族を忘れなかったの。でも、私はここに残り続けている。

       ……ねえ、矛盾しているのかしら。本当に大事なものは、一体なんだったのかしら」

(´・ω・`)「だから君は、二ヶ月の間、僕に何一つ連絡を寄越さなかったんだね。整理がつかないから。
      僕たちと、この街……どちらかに依れば、どちらかが分からなくなってしまうから」

ζ(゚ー゚*ζ「私は、貴方の前でみっともなくあり続けていたわ。だって、泣いてばかりだったもの。
       今だって、まだ泣ける。だから、貴方がまったく泣かないことが理解できなかった。
       怖かったのよ。私はあの時、貴方と同じ価値観を持っていると思っていたから」

(´・ω・`)「泣かない理由は、未だ僕にも分からないよ」

ζ(゚ー゚*ζ「あの頃に戻りたいわ。いえ、その前でも構わないのかもしれない」

(´・ω・`)「そうだね……また一緒に、あの子の写真を撮ったり、
      不器用な食事を作ったり、テレビドラマに文句をつけたり」

ζ(゚ー゚*ζ「愛し合ったり?」

(´・ω・`)「……勿論、それも無いと嘘になる」
 
ちょっとだけ笑う。私たちの間の問題は、何一つ解決していない。
勿論、もうすぐみんなが死ぬと言うなら、それも滞りなく進行するだろう。
しかしそれでも、多少穏やかになれたようだった。

60 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:40:48 ID:jDTTQVVk0
息子について。

懺悔すると、事故のようなものだった。
息子の誕生は、私たちがそれを目的として励んだ結果ではなかったのだ。
私たちは当然のごとく避妊をしていた。しかし悪いことには、この世のあらゆる避妊具は万能ではないのだ。
 
ある日の行為の後、やがて妻となる女性は私に、慣例の日が長らく訪れていないことを告白した。
その時に私が一瞬、呆然となったのは抗えぬ事実である。

当時私はまだ二十五で、大学を卒業して仕事に就いて間もない時合いだった。
経済的にも個人的にも、子どもという概念は想像上にも据えがたいものであった。
そう、だから、一瞬堕胎という単語も過ぎった。
 
しかし、結局はそうならなかった。それから暫く後、婦人科から帰宅した彼女が、懸念の確定を述べたわけだが、
その際に私は、あまり取り乱すこと無く、むしろ自分でも驚くほど冷静に出産を承認した。

彼女の気持ちはどうだったか。多分喜んでいたと思う。
常から子どもの話をしていたのは彼女の方だったし、子育てというものに一種の憧憬を抱いている節もあった。
 
それからは正しく、てんやわんやだった。
人の世では、先立つものが無ければ自然の摂理を果たすのもままならない。
私たちは互いの両親に事情を話した上で、経済的な支援を申し込んだ。

双方とも案外と喜んでくれ、金の心配はいらない、と心強い言葉をかけてくれた。
そして私たちは、実にどたばたと結婚式を挙げた。一通りの事務手続きと儀式を終えると、
最早妻となった彼女のお腹はすっかり膨らんでいた。

その時には子どもが男であると判明しており、親戚一同の援助のおかげで出産への準備も整いだしていて、
妻は子どもの名前をあれこれ考えるのに躍起になっていた。

61 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:44:01 ID:jDTTQVVk0
そして出産の当日、運良く有給を獲得した私は、妻のいる分娩室の前で、阿呆のように口を開けて座り込んでいた。

何も考えていなかった。
これから自分の子どもが生まれることも、妻がそのために命懸けで苦痛を堪えている事も全て忘れ、
ただひたすら空白のような時間に空白のような態度で対抗していた。

その時ですら、私には何だか、子どもというものが想像上の何かであると信じていたのかもしれない。
 
しかしやがて息子が誕生し、その顔を一目見ると、私の中で何やら奇妙なイメージが湧き上がった。
それは、あえて言語化するならば、薄氷のように脆弱なガラス玉が粉砕されるようだった。

次いで、私は何かとんでもないことをしでかしてしまったのかもしれない、という、
こちらは明確な文字情報が脳裏を走った。
初めてその矮躯を抱き上げてもなお、その構図が我ら『親子』であるとは想像しがたかった。
 
とはいえ、これは断言するが、私は決して息子を愛していなかったわけでは無い。
むしろ、息子のためにビデオカメラを購入して容量一杯に家族を記録したり、
休日は彼のご機嫌取りに終始したりするほどには子煩悩だったのだ。

私自身にいくら親の自覚が欠けていたり、或いは実感の湧かぬ家族関係であったとしても、
彼が愛らしく、また保護すべき対象として映っていたのは間違いない。

62 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:47:09 ID:jDTTQVVk0
彼を育てていた五年間は、後にも先にも二度と訪れまい多幸感に日々苛まれたと言っても過言では無い。
そう、だから、私は間違いなく幸せだった。あの頃の私の世界は、まさしく完成形と言っても良いだろう。
愛すべき妻は若く美しく、息子は手がかかるが故に微笑ましく、両親も丁度良い年頃だった。

出来ることならその時、私はほんの少しだけでも時計を止めて、人生におけるちょっとした休憩を満喫したかった。
時間は前に進む。うん、わかってる、だけどちょっと待ってほしい、ここらで一服したいんだ……という具合に。
 
しかし時間は進んだ。息子はみるみるうちに成長し、ほどなくして幼稚園に入った。
息子は可愛らしいままだった。私たちは相変わらず彼を溺愛しており、特に妻はこの頃、
彼のファッションセンスを磨くことに執心していた。

貴方みたいに無頓着になっても困るから。
そう笑いながら、彼女は色々な服を息子に着せてはあれこれと考察していたのだった。

そんな具合で毎日は進んでいた。特筆すべき事は何もなく、だからその日も何の前触れもなく訪れた。
仕事中の私の携帯に妻から着信があった。受話口の彼女は酷く冷静であるように感じられた。
妻は、彼女が少し拗ねているときと同じ低い声で、息子が死んだと言った。
 
その日、自由時間に園庭で遊んでいた息子は、壮大な冒険のために園の外に出てしまったらしい。
それ以上の状況はよくわからない。
息子の友人の一人は、こう言っていた。どーんって、すごくとんだんだ。

息子には友達が居たんだ。そんな安堵を覚えていた。
 
車に撥ねられた息子はアスファルトに叩きつけられて逝った。
それが結果だ。そして、それで全てが終いになった。

※ ※ ※

63 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:50:12 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「君はどうして実業家……お爺さん、とやらの介護を任されたの?」
 
実業家の部屋は、その肩書きにふさわしく最上階にあるらしい。
そこへ向かう道すがら、私は個人的に最も気になっていたことを妻に問うた。

ζ(゚ー゚*ζ「指名されたのよ。寝たきりになったとき、本人から直々にね。
       彼、それまではお婆さんと二人で生活していたのだけれど」

(´・ω・`)「ふうん。死にかけてるとは言え、視力は狂っていないようだね」

ζ(゚ー゚*ζ「なに、妬いてるの?」

妻の含み笑いに、私は冗談めかして頷いてみせる。
頭の中で渦巻いているのは、矜持のような、敗北感のような。

とあれ、妻が私への愛情を失っていないことは何よりの僥倖だった。
その愛情が、少しばかり手元から遠ざかっているにしても、私にしてみれば不在でないだけで十分だ。
 
到着したエレベーターを降りたすぐ先にある巨大な扉を妻が押し開く。

あまりにも広々とした室内は、街の風景に似てがらんとしていた。
元々置かれていた調度品の類いは全て片付けられたらしく、
片隅のダブルベッド以外に目立った家具は見当たらない。
 
ダブルベッドの傍の椅子に、老婆が座り込んでいた。

私たちに気付くと重たそうに腰を上げ、部屋を出て行く。
妻の名前を言った時、老婆が見せた複雑な表情の意味が今なら分かる。
妻の方が若く美しいのは、誰から見ても明らかだ。

64 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:53:31 ID:jDTTQVVk0
実業家は、ベッドに身を埋めて真っ直ぐ天井を見つめていた。思っていたよりも遙かにちっぽけだ。
そして、その痩身は確かに死の空気を纏っていた。しかし、黒目ばかりのような双眸が私たちを捉えた途端、
彼の表情にみるみる生気が宿っていった。上体を起こし、私に手を差し伸べる。

/ ,' 3「ようこそ」

枯れたような腕には、意外なほどの力が込められていた。

/ ,' 3「すまないね、君の美しい奥さんを、小間使いのようにしてしまって」

(´・ω・`)「いえ、妻も嫌がってはいないようです」

私はどうしてもこの老人に好感を抱くことが出来ない。

(´・ω・`)「私としては、少々残念なことですがね」
 
無論、信頼など出来ようはずもない。目の前にいる男は、ともすればとんでもない妄想狂であるかもしれないのだ。
そう、私は少しだけ、ほんの少しだけ、この老人を論破出来るかもしれないと思っていた。

私の最低限の条件は妻の顔を一目見ることだが、それが果たされたことで、欲は際限なく膨らみ始めている。
願わくは『彩色の奇跡』にまつわる不可解な噂を覆し、妻との齟齬を埋め合わせて、
一緒に家へ帰るところまで持って行きたかった。

65 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:57:16 ID:jDTTQVVk0
/ ,' 3「私は、これまで君のような一般人をここに呼んだりはしていなかったんだ」

老人は、握手を解いて私に笑いかけた。

/ ,' 3「君を呼んだのは他でもない、私の伝記を誰かに伝えたかったんだよ」

(´・ω・`)「ははあ、伝記ですか」

と、私は言った。

/ ,' 3「出来れば私を信じていない者の方が良い。客観的な議論が出来るだろうからね。
   君、君は私がこの世界を作り、そして終わらせるのだと言えば、信じるかね」

(´・ω・`)「いいえ」

と、私は言った。そして肩を竦めてさえみせた。

66 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/28(日) 23:59:14 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「少しよろしいですか、ええと……」

/ ,' 3「何と呼んで貰っても構わないよ。そして、もっと砕けた口調で話してもらって構わない」

(´・ω・`)「ええ、では失礼ですが……貴方のような人間を、世間一般ではこう呼ぶと思うのです。ぼけ老人と」
 
妻は私たちを無表情に見つめていた。
私は少し挫けそうになったが、何とか持ち直して老人を真っ直ぐに見据えた。この勝負に敗れるはずもない。
今までに養ってきた経験や常識が、私に味方してくれているのだから。

/ ,' 3「君に一つ、尋ねたいことがある」

と、老人は言った。

/ ,' 3「あらゆる人にとって、その人が見ている世界はその人のために作られていると思うかね」

(´・ω・`)「そりゃあまあ……そうでしょう。少なくとも、その人にとっては」

/ ,' 3「では、どうだろう。今まさに……発展途上国で、栄養失調の妊婦のお腹から赤ん坊が生まれた。
    彼は物心もつかぬうちに、五十パーセントの確率で餓死することになる。
    彼の人生に意味はあっただろうか。そして彼の世界は、彼なりに形成されていただろうか」

(´・ω・`)「それは極端なたとえですよ」

/ ,' 3「そう思えるのは、私たちが裕福な環境で育つことが出来たからだ。
    巨視的に見れば、私たちはこの国に生まれただけで、ずいぶんな幸福を享受しているのだよ」

(´・ω・`)「貴方などはまさにそうなのでしょうね。何せ、世界一の大富豪だったのだから」

私は、再び訪れた『大きな問題』に頭痛を覚えながらそう言った。

(´・ω・`)「しかし、それは傲慢というものです」

67 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:02:34 ID:NLjW9Fhg0
/ ,' 3「逆に訊くが、この世界が私の世界ではなかったと、どうして言える?」

(´・ω・`)「何ですって?」

/ ,' 3「八十年近く前、私の人生は一般家庭の元で始まった。
    何の変哲もない、しかし這い上がるチャンスのある環境だった。
    私は順調に義務教育を終え、この国で最も高い水準の大学を卒業した。

    そして就職、十年後には独立を果たし、小さな企業を立ち上げた。
    そこから更に十年かけて、一大企業に育て上げた。

    それからしばらくして、例の『彩色の奇跡』を見つけたんだ。
    ここから先は君も知っているだろう。私は偉大なる成功を収めた。
    そしてそこから、偉大なる転落をも経験した。

    私に残されたのは、僅かな財産と孤独と、この街だけだった。
    私はここで死ぬ覚悟を決めた。その時は、私の世界がこの街程度の大きさだと思っていたのだ。
    しかし今、集まってきた人々によって私の世界は大きく広がった」

68 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:05:04 ID:NLjW9Fhg0
(´・ω・`)「妄言ですよ。みんなが死ぬなんて、何の根拠もない。
      現に、貴方の影響力が失われた今になっても、何もかもが平常通りに動いているではないですか」

/ ,' 3「まだ、私が生きているからだよ。そしてそれも、もうすぐ終わる。
    私の人生には何一つ不足が無かった。
    数多の事件を起こし、数多の不始末を残したが、それでも世界は私の思うとおりに廻っていたよ。

    君はどうだね。君の人生に、何一つ不足がないと言えるかね」

(´・ω・`)「確かに、私は貴方のような大物にはなれないでしょうよ。なる気にもならない。
      しかし、個人にはその人なりの生き方があるのです。
      街の片隅で穏やかに過ごすのも、人生の方法の一つではないですか」

/ ,' 3「そんなものは、精神の優しい麻酔に過ぎないよ。
    人生に不足がある限り、誰もが死を怖れなければならない。そして死の根拠を問う。
    それは死に相対し、やっと切れた麻酔の反動で最大化した、不安や不満に塗れてしまっているからだ」

(´・ω・`)「独善的すぎる」

/ ,' 3「そう、その通り」

彼は歯を見せて笑った。

/ ,' 3「それこそが、私にだけ認められた権利だ」

69 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:07:17 ID:NLjW9Fhg0
世界の主人公を自称する老人に、しかし哀れっぽさは微塵も見えなかった。
彼の物語は完成されているのだ。それは私も知っている。

そんな彼に対し、あらゆる人生の素晴らしさを説くことは不可能だろう。
客観的に見て、彼は最上の生き様を味わってきたのだから。
 
だが、私に反論の余地がないわけではない。
彼の、彼だからこそ主張できる思春期のような理論には、一つ大きな穴があった。

(´・ω・`)「ですが、結局は貴方も死ぬわけですよ。満足も不満も、生きていなければ得ることは出来ない。
      それまでの人生がどれだけ素晴らしかろうとも、死んでしまえば全てが終いではないですか。
      貴方が本当にこの世界の主人公であるというのならば、そんなところで寝てる場合じゃないでしょう」

/ ,' 3「生まれがあり、死があるのがこの世界の定義なのだから仕方あるまい。
    私は何も、不老不死の神ではないのだから。君、世界とはよくできた枠に過ぎないんだよ。
    その中で我々が生きていかなければならないとしたら、その好手とは何か。

    幼くして餓死することでもない、不満の残る死に方をすることでもない。
    私の不満を払拭した最大の出来事はね、『彩色の奇跡』なんだ。
    あれは私に、巨万の富を与えてくれた上、この期に及んで私と同時に起こる一斉の死をも約束してくれた。

    誤解が無いように言っておくが、私はここに集まった人々へ何か入れ知恵をしたわけじゃない。
    彼らが自発的に、頭のイメージを、死に結びつけたんだ。
    その証拠に、私の頭にそんなイメージは出ていない」

70 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:10:23 ID:NLjW9Fhg0
……彼が口を動かすたびにその表情に希望を増していくのとは対照的に、私は徐々に憂鬱な気分になっていった。

その一因は、未だ表情を動かさぬ隣の妻にある。どうやら、彼女の意見は変わっていないようなのだ。
僕がこれだけ弁舌を、正論を振りかざしても、何一つ揺らいではいない。私は果たして無力なのだろうか。
それも敗因であろう。しかし、それ以上に不合理な概念が私たちを支配していた。

老人に何を言っても論破は出来まい。
にも関わらず私は彼に屈服するつもりになれないどころか、その理屈を飲み込むことさえ叶わないのだ。
 
このまま引き下がるべきだろうか。それは、公平に見ても敗退ではあるまい。
戦略的撤退とでも表現すべきものだ。しかし、今の私にはどうしてもそう出来なかった。
私はまるで、自分こそが常識へ立ち向かう意固地な少年であるような錯覚さえ感じ始めていた。

(´・ω・`)「……ならば、もう一つだけ伺います。
      私は、貴方がこの世界の主人公であるとどうしても認めることが出来ません。
      常識的にも、そんなことは有り得ないと思うからです。

      そんな私に対して、貴方は一体どのような説得をするのです?」

/ ,' 3「そもそも、私は誰かを説得する義務を持っていない。
    だから、私は全世界の人々にその身の危険を通告したりもしていない。
    だが、君には随分話を聞いて貰っている。そのお礼として言うならば――」
 
私はじっと待ち構えていた。目の前の妄想狂に恐怖し、狭い頭であらゆる予想と反論を立てながら。

/ ,' 3「あらゆる一般的な人々は、死が目前に迫ってきたとき、様々な方法で抵抗する。
    怒りや交渉、頭ごなしの否定などによって……。しかし、最終的にはどうするだろう。
    全てが無意味だと悟り、目前の死が真実でしかないと自覚したとき、最終的には――受容するわけだね。
 
    どうしようもなく、受け入れてしまうのさ。極めて消極的に、死を仕方ないものとして待つことにする。
    頭の中で更なる惨めな言い訳をしながらね。死後の世界は素晴らしいだとか、
    死んでも魂は残留するとか、宗教じみた言説を……。

    それ自体が敗北だ。また、自分が世界の主人公でなかったという証でもある」

72 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:13:15 ID:NLjW9Fhg0
私は黙って聴き入っていた。彼の言葉は、少なくとも私に限っては酷く正確だった。

/ ,' 3「死とは、物語の完結なのだよ。そしてその物語は、何よりも素晴らしくなければならない。
    そう思えてようやく、自分が世界の中心にいると叫べるのさ。
    私には、私の物語が誰よりも優れているという自負がある。

    そしてそれを、命を賭してまで支持してくれる者が大勢いるんだ。私に一体何の不足がある? 
    私の死が世界の終わりだったとして、何の不自然がある?」

(´・ω・`)「……つまり、貴方のように素晴らしい人生は、後にも先にも二度と現れないと?」

/ ,' 3「その通り。『彩色の奇跡』は、それをますます強固なものにしてくれた」
 
彼の一生を物語にすれば、それはそれは面白いものになるだろう。
ありがちな成長の物語から、『彩色の奇跡』という唯一無二のイベント、
そして最期には、六十九億を抱いて死ぬ……出来すぎた運命だ。伝記に残す価値もある。
 
そう考えたとき、私に最も足りなかったのは、老人が持つような社会的地位や富、身分であるのかもしれない。
それが私から言葉の重みや真実味、あまつさえ対等に議論する立場さえもを奪っている気さえする。
そう考えると、老人の言う人生の格が、正しいようにすら思えてしまう。

73 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:15:42 ID:NLjW9Fhg0
/ ,' 3「……さて、沢山話してしまったな。私は、どちらかというと君の奥さんと話をしたかったのだが」

老人が妻に笑いかけると、彼女はほんの少しだけ応じてみせた。

/ ,' 3「幾何もない身には堪える。また眠ることにしよう」
 
そして最後に、彼は私に向かってこう言った。嫌みではなく、本心からの言葉に聞こえた。

/ ,' 3「君にも、良い時間があることを」

※ ※ ※

74 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:18:23 ID:NLjW9Fhg0
私たちは二十六階の妻の部屋へ戻った。
妻が先に歩いて行くのを、私は惨めな気分でついて行った。他にどうすることも出来なかったのだ。
妻の前で恥をさらしたからというよりも、実業家の言葉で揺さぶられた頭の整理が、今一つついていなかったのだ。

当然、会話は何一つ無かった。
 
部屋に戻り、妻は最初にそうしていたようにベッドへ座った。私はその傍に立っていた。
何か言いたかったが、何も言い出せなかった。そのうち、口火を切ったのはやはり妻だった。

ζ(゚ー゚*ζ「……ねえ、そろそろ教えてくれない?」

(´・ω・`)「何を?」

ζ(゚ー゚*ζ「貴方がここに来た理由」
 
振り返って私を見た妻の無表情は、私にある過去を思い出させた。

彼女と付き合いだして間もない頃、私は彼女の誕生日を、プレゼントを買い忘れたままに迎えてしまったことがある。どのように言い出すべきか迷いながら待ち合わせ場所に行き、そこで彼女と鉢合わせた時、
彼女はしばらく私を眺めた後、今と同じ顔で私に言ったのだ。ねえ、プレゼント、買い忘れたんでしょう。
 
それからもしばしば、彼女には妙に勘の冴える瞬間があった。
そしてそれは、大抵良い意味でも悪い意味でも重大な場面で発揮されてきたのである。
 
だが、今のこの隠し事だけは、彼女に知られたくなかった。
彼女に妙な心配をさせないためにも、この期に及んで未だ居丈高な自意識を守り続けるためにも。

76 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:21:48 ID:NLjW9Fhg0
ζ(゚ー゚*ζ「ねえ、貴方、聞いてくれる?」

妻は決して怒ってはいなかった。睦言でも囁くような口調だ。狂気的に優しかった。

ζ(゚ー゚*ζ「お爺さんの話に、少し補足しておきたいの」
 
私は彼女の隣に座った。少しだけ肩が触れた。それまでだ。

ζ(゚ー゚*ζ「お婆さん、いるでしょう。あの人がお爺さんの愛人だったって知ってる?
       ……元々あの人は水商売で働いていた。もう数十年前の話よ。そして、その頃お爺さんと出会った。
 
       でも、その頃にはもう、お爺さんには奥さんがいたの。だから正式な関係にはなれなかったんだけど、
       二人は徐々に仲を深めていって……。それからずっと、関係は続いていたらしいの。
       そして五年ほど前に奥さんが死んだとき、お婆さんはお爺さんと一緒に住むことにしたのよ。

       もう、結婚なんて形式にとらわれる必要も無かった。
       それからの人生を、お婆さんはお爺さんとずっと過ごすつもりだったの……」

何となく話の先が読めた私は、軽く目を閉じた。

ζ(゚ー゚*ζ「でも、その時に色んな人が集まって……お爺さんは、私を世話役に指名した。
       その時、お婆さんは凄く怒ったのよ。当然だと思うわ、お爺さんの行為は、裏切りに近かった。
       でもお爺さんは言った。私には残り少ない人生を、好き勝手に生きる権利があるって。

       私が思うに、お爺さんが、自分が世界を作ったって確信したのはあの辺りだったんだと思う」

(´・ω・`)「ああ、男なら誰だって若い女性と長く過ごしていたいものさ」

77 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:24:33 ID:NLjW9Fhg0
ζ(゚ー゚*ζ「からかわないで。ねえ、貴方に聞いて欲しいのはここからなのよ。
       お婆さんはそれでも諦めきれなくて、最初の頃は、私に数限りない罵倒を浴びせてきたりもした。
       今でも私がいない時にはずっとお爺さんの傍にいるわ。

       そして毎日……洞窟に行くの。昔、『彩色の奇跡』があった場所に。
       そこで、延々と恨み言を呟いているんだって」

(´・ω・`)「誰に聞いたの?」

ζ(゚ー゚*ζ「気になってついて行った人がいたのよ。壁に向かって、ずっと言っているのよ。
       お前さえ現れなければ、お前さえ狂わせなければって……。
       でも、お婆さんは決してお爺さんの主張を疑っているわけじゃないわ。
 
       あれは、どうしようもない運命とか、そういうものに対するささやかな反抗なんだと思う。
       しかも、お婆さんにとって残り少ない人生を、本当にあと僅かしかなかった人生を、
       こんな形で消されてしまった事への悲しみは、相当なものなのよ」

(´・ω・`)「ああ、だろうね。年寄りの呪詛は恐ろしい」

ζ(゚ー゚*ζ「そんなお婆さんの必死さが、さっきの貴方からも感じられた。
       ねえ、貴方は何故あんなに必死だったの。
       貴方はまるで、自分の人生が否定されるのを怖がっているようだったわ」

(´・ω・`)「それは」

ζ(゚ー゚*ζ「貴方が本気でお爺さんの言葉を否定したかったのだとしても、もう少し冷静でいられたはずよ。
       そうでなかったのはどうして? 貴方にはまだ、この先に人生の長い道が残されているっていうのに、
       お爺さんが語る物語の終わりを簡単に受け入れてしまったのは何故なの?」

78 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:26:01 ID:NLjW9Fhg0
私は、黙ったままで彼女を見つめた。だが、心の底では歓喜に打ち震えていたのだ。
こんなにも前向きな涙を流したいと思ったことがかつてあっただろうか。
彼女は私の真意に対して何と誠実であることだろう。彼女は、何と私の妻であることだろう。
 
しかしそれらの感激を全て押し隠したまま、私は自らが肝臓癌を患っており、
余命半年の身であることをただ淡々と語った。

※ ※ ※

79 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:29:09 ID:NLjW9Fhg0
一ヶ月ほど前から微熱が続き、なかなか収まらなかった。食欲もなく、食べようとしても吐き戻すようになった。
それらの諸症状を、私は当初、息子が死んだショックが今頃になってやってきたのだと勘違いしていたのだ。
無論それが悪性新生物の引き金だとは夢にも思っていなかった。

半月以上経っても回復しないので病院に行くと、精密検査に回された。それが先週のことだ。

そして昨日、電話で呼び出された私は沈痛な面持ちの医師から、自身が肝臓癌に冒されていること、
それは大いなる若さによって活き活きと余所へ転移し、病期で言うところのステージ4に至っていること、
余命が半年程度であることなどを告げられた。

すぐにでも入院をしなければならないという段になり、私は必要な荷物をまとめるためだけに家へ帰された。
しかし私はその足を、自宅ではなく駅に向けた。そして電車に乗った。最果ての街へ、妻に会うために。

(´・ω・`)「最初から、君をどうこうしたいとは思っていなかった。
      ただ、このまま君を見ずに人生を済ませてしまうことがどうしても耐えられなかった。
      それだけだったんだよ」
 
だが、その思いもどこかでとち狂ってしまったらしい。
今の私は妻をどうしても連れて帰りたいと思っていたし、
それが不可能であることを見越して早くも抑鬱に陥っていた。

日常的な時間の、何たる残酷さ……。

80 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:32:11 ID:NLjW9Fhg0
ζ(゚ー゚*ζ「私に貴方を責める権利はないわ。
       私だって自分のために、貴方に何もかもを隠していたんだから。
       貴方が貴方のために今まで黙っていたとしても、文句一つ言えやしない」

(´・ω・`)「でも、それはあまりに哀しいじゃないか。
      お互いの、踏み込んじゃいけない領域が、この期に及んで益々拡大しているような気がして……」

ζ(゚ー゚*ζ「仕方が無いのよ。結局、私と貴方の間にある高い壁は、取り去れるような類いのものじゃないんだから」

(´・ω・`)「耄碌爺さんの話に、一つどうしても共感せざるを得ない部分があったんだ。
      僕の人生は、まるっきり不足していたさ。何よりもまず、涙が足りなかった。
      そして、命の尺も足りていなかったみたい。

      こんな人生が、実際のところ世界の主人公たる者の生涯では有り得ないんだ」
 
私を取り巻く、死という名の波状攻撃はあまりにも過剰だった。
少なくとも、息子を殺す理由はどこにも無かったはずだ。

しかしそれも、かの実業家という主人公を支える装置の働きであると考えれば、
幾らか合理的であるような気がする。少しは、救われる気もするではないか。
舞台の暗がりで蠢く群衆の一人ぐらいに、その手の悲壮が訪れねば退屈ではないか……。

81 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:35:42 ID:NLjW9Fhg0
私は、吹っ切れた気分を取り繕っていた。それを理性の端から頭へ、表情へ、全ての動作へと滲ませていく。
道化と言うほど完成されてはいまい。しかし、よく知る妻を欺ける程度には化けられたはずだ。
 
だから、妻の嘆息に似た問いにも、間髪入れずに応じられた。

ζ(゚ー゚*ζ「貴方は、これからどうするの?」

(´・ω・`)「帰るさ。当初の目的は果たしたんだから」
 
妻はその時、初めて頭を垂れて黙り込んだ。私たちを包むやるせなさは、余りにも重厚だった。
私は、誰にも反論させないほどに妻を愛している。
妻だって、きっと。しかし、それだけ似ている私たちの頭の中身は、今や完全に違う構造を呈してしまっているのだ。

歩み寄れる類いのものではない。土下座して承認されるものでもない。
少し昔、妻がよく言っていた言葉を思い出す。貴方に甲斐性があれば……。
そう、私に甲斐性があれば、今だってきっと。いや、しかし。

ζ(゚ー゚*ζ「……癌と闘って、余命半年を宣告されたのに何年も行き続けている人の話をよく聞くわ。
      だから、まだ可能性がないわけじゃないわよ」

(´・ω・`)「そうだとしても、もうすぐみんな死ぬんだろう? 同じ事だよ」

ζ(゚ー゚*ζ「でも、貴方には生きていて欲しいのよ」

(´・ω・`)「僕だって、君には長生きして欲しい」

ζ(゚ー゚*ζ「ねえ、愛してるのよ」

(´・ω・`)「僕だって」

ζ(゚ー゚*ζ「なのに、何故こんなにも違うの?」
 
分からない……。どうしようもないことを言うならば、妻にイメージなど浮かばなければ良かったのだ。
息子の弔いに艱難辛苦を舐めながら、それでもなお日常へと修正しようとしていく穏やかな生活の中で、
ある日突然死にたかった……。

82 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:37:16 ID:NLjW9Fhg0
私は立ち上がって彼女に背を向けた。私には、もうすぐ彼女が泣き出すと分かっていたのだ。
また涙を共有できぬ前に、出て行くことにした。

(´・ω・`)「それじゃ、また……。いや、さようなら」
 
少なくとも今、私たちは完全に自由だった。自由意思で、別離を選択したのだ。
それは、鼓動も速まらぬほどに息苦しかった。

※ ※ ※

83 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:38:31 ID:NLjW9Fhg0
私について。

……特に何も。

※ ※ ※

84 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:41:15 ID:NLjW9Fhg0
外に出ると、既に夜明けが始まっていた。街は来たときと同じような色で静まりかえっている。
沈む世界の突端にあるこの街は、特定の人々以外には見向きもされずに、このまま幕引きを迎えるのだろう。
あまりにも芸術的な話だ。しかし、あまりにも身勝手な話だ。
 
駅に入り、改札へ向かう途中に、私はぼんやりと立ち尽くす老婆の姿を発見した。
彼女は私に気付くと、口を曲げてあからさまに不機嫌そうな顔をした。

('、`*川「もう帰るのかね」

(´・ω・`)「ええ、早くしないと医者に怒られますので」

('、`*川「別にここに居ても構わんのだぞ」

(´・ω・`)「遠慮しておきます。お言葉に甘えるには、私はあまりにも惨めになりすぎました」

言ってから、私は、自らに残留する矜持に苦笑する。
私がここを去る理由はそんなものではない。私は再び、遁走するだけの話だ。

(´・ω・`)「ねえ、お婆さん」

そのまま私を見送ろうとする老婆に、少し意地の悪い質問をぶつけてみる。

(´・ω・`)「人生って、何だと思いますか」

('、`*川「そんなこと、分からん」

老婆は突っ慳貪な物言いで返してきた。

('、`*川「死んでから考えることにしよう」

(´・ω・`)「なるほど、それは名案ですね」
 
私たちは、傷をなめ合う者同士の笑いを笑った。そして、別れた。

85 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:43:40 ID:NLjW9Fhg0
改札に立つ守衛は、昨夜の二人とは別人だった。
私は努めて穏やかに、「失敗したよ」と声をかける。
片方の男が、眠たげに「そりゃ、お気の毒に」と答えてくれた。
 
寂れたプラットホームで始発をひたすら待った。その間は何も考えていなかった。
やがてやって来た電車に、薄い感慨だけを持って乗り込んだ。
 
走馬燈の街を離れていく電車が、徐々に朝と生気に向かっていく途中、不意に私の両眼から多くの涙が溢れた。

しばらく、何が起こったのか分からなかった。
頬を伝い、足下へこぼれ落ちていく雫を、私は屍体を眺めるように訝しげに見下ろしていた。
それが涙だと理解してもなお、私は呆けて垂れ流し続けていた。

86 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:45:50 ID:NLjW9Fhg0
私はさっき、彼女に一つだけ嘘をついた。
実はついさっきまで、私は私が世界の主人公であるという思いを払拭できずにいたのだ。
 
すなわち、人生はこのようなものだと考えていたのだ。

最初から悲哀に偏って設定されていたのならば、私の人生こそそれにふさわしい。
だから、老人への敗北感に苛まれることもなかった。
私はただただ卑屈に開き直ってみせただけなのだ。それが本心であると、自己暗示できるほどの名演だったと思う。
 
しかし、それならばこの涙は何なのだろう。決まっている。私はやはり私の悲しみを認められずにいたのだ。
この涙には、多くの意味が含まれているに違いない。息子の死、妻との別れ、自分の余命、世界の……
いや、それは別に構わない。私には、そんなことまでは分からない。

そう、私の涙は、全人類の終わりに捧げる涙などではなく、
自分の中で複雑に絡み合った問題を解きほぐすためだけの涙だ。

87 : ◆xh7i0CWaMo :2014/09/29(月) 00:48:30 ID:NLjW9Fhg0
ようやく私は人間としてのスタートラインに立ったのだろうか。
悲しみの涙は、自分に自意識が舞い戻ってきた証だ。
ならばこれから、私はあらゆる大きな問題について考えていかねばならない。
 
遅い、遅すぎるじゃないか。残された限られた時間で、私に何が出来ると言うのか。
何より、私は人類の終わりとは切り離された自分自身の近しい死に整理をつけられるのか。

涙腺は次々に新しい涙を供給し続けている。
こんなことなら、もう少しあの部屋に留まって妻と共に泣き明かせばよかった。
 
私は自分の死を認めない。そんなはずはない、何かの間違いだ。
それを受け入れさせようとする現実からは孤立を決め込もう。そして、再び取り引きを持ちかける。
妻に会いたい、妻に会いさえすれば、死ねる気がする。

それから、更に人間らしい反応を……無理だ、とても間に合わない。
懸命に深淵の海でもがいて、もがいて、もがいて……。
それだけしても最後には死を、消極的に受容する道しか残されていないのか。

私は物語の完成を、万端整えて見守ることが出来ない。そしてその素晴らしさに、保証も持てない。

人生の終端の辺りで、次から次に後悔の残渣が見つかっていく。
目を瞠ればキリがない。私はまだまだ泣き続けた。

※ ※ ※









3.午前五時(Interlude 1)