【感想】『したらばのジョーカー』に関する40人の証言記録


読者レスにて人物相関図が欲しいという声があったが、
私はジョーカーが誰かということさえ分かれば他の相関関係は特に重要ではないと、当作品については思う。

そしてそのジョーカーの正体についても、最後に参考URLとして貼られたリンクに飛べば容易に解決する。
なんなら答えを言っちゃってるようなもんだから、本作は謎解きそのものが作品の趣旨ではないだろう。

ちなみに参考URLが無くとも、1、2、3という区分けをそのまま使うなどして、
テンプレートに準じていると本文中で察しが付くよう設計されているのが上手いところと思う。



本作品の評価のポイントは、
したらば町という作中の限界集落、限定されたコミュニティの排他的サイクルを
創作界隈、掲示板文化に照らし合わせて皮肉っているところ。
ひいては現実社会においてもこれは全く他人事ではないということ。

我々が最もそれを感じ取れるのは/ ,' 3の言にあるのではないか。
ブーン系というものの歴史、VIPからしたらば掲示板への変遷を、上手くしたらば町のそれに落とし込んでいる。
そして、余裕がなくなり、異端を排除しようとする、そんな世の中の動きが
現実でも現在形で顕現しまくっているのは正に我々の記憶に新しいところだ。


>とにかく、今は地域社会が一丸となるべき時なんですよ。
>だってね、聞いてください。あのウイルス禍だって、したらば町では一人も感染者が出ていません。
>それは一人ひとりが危機を自覚し、またそれを共有しようという意識があったからです。誰も裏切らなかったんです。

>アレにも、同じように対応できるはずです。
( (*゚ー゚)の証言 )


この作品が投下され、またこの感想文を書いているのはコロナウイルスの脅威が世界中を支配した時期にあたる。
平和を尊び、人々は良心的だと信じるいかな愛国者でも、人間の本質とまではいかなくとも、
"悪意ある人間"も少なくなく日本にいるという事実から目を背けるわけにはいかないだろう。

感染者の個人情報は数日もしないうちに特定され、彼の家には石が投げ込まれ窓ガラスが割れましたなんて話が身近にもあった。
更には、あの人は当時例のクルーズ船に乗っていたらしいという根も葉もない噂まで流れ、それだけでターゲットにされる始末。

ウイルスが敵という認識が、感染者も敵、そして感染しているかもしれない者も敵という認識にどんどん拡大解釈される。
目に見えない敵と戦うストレスから逃げ、目に見える丁度いいサンドバックを叩く。

ヒートの家に落書きやゴミを投げる行為も、またそれを黙認するのも、決して限界集落だからこそ起こりえたことではない。

世界的にハラスメントや差別問題に関心が高まっている今だからこそ、意義ある内容の作品といえるだろう。



しかしここで疑問なのが、したらば町が異端を排除できると確信する理由が、
地域社会が一丸となって、誰も裏切らないからだと果たして言えるのかどうか。

したらば町に住んでいるのがどんな人間かというのを鑑みると、やはり消極的な人物ばかりに思える。
それは自治会長という圧倒的権力下における独裁がサイレントマジョリティを生み出していることに起因していると言えるだろう。

(´・ω・`)の言う通り、わざわざ大衆に逆らうよりも、一緒になって石を投げていた方が色々都合が良い、これもやはり限界集落の話に留まらず……。
ジョーカーがジョーカーになってしまった理由というのがまさしくこれだと思う。


>そもそも、そんなに自作がオリジナルだって主張すること自体滑稽ですよね。
>だってパクりかパクりじゃないかはともかく、作品が似ていることには変わらないんですから。
( (゚、゚トソンの証言 )


こいつは本当に創作に携わる人間だったのか信じられない台詞であることは置いておいて……。

有名作者の作品と本当に偶然内容が被ってしまって、しかし自作品を取り下げればパクったことを認めることになる。
いや、もしかしたらジョーカー自身はそんなこと歯牙にもかけておらず、別に似てもいいじゃんと思っていたのかもしれない。

いずれにせよ自作品は取り下げず、結果炎上してしまう。
果たして炎上に加担した人らは本当に全員自らの信念があっただろうか。

趣味としていた界隈を追われ、仕事は奪われ、
元から"変わった子"という扱いを受けて生きてきた息苦しい世界に、より絶望したことは想像に難くない。

そうして「したらばのジョーカー」という外面を生み出したのが( <●><●>)の言う失踪願望からなるものだったとしたら、
なんというか、言葉が見つからないほど悲惨である。


「お前はオリジナルではない」と言われながら、自分自身の姿までも既存のものに模倣させる。
そんな気持ちに寄り添うなんてことは、きっと同じ苦しみを味わわなきゃできないのだろう。
しかし本当にオリジナルであることを諦めて誰かの模倣として生きていくならば、コスプレ姿で徘徊なんかせず
周りに溶け込むようすればいい話なのだ。
そんな一般人の正論は「できるなら最初からやってるよ」という心の叫びに容易く吹き飛ばされるだろう。

人気取りのためにやってるわけじゃないのだ。
何故ならジョーカーは原稿用紙と共に自身の全能感さえドブに捨ててしまったのだから。

現状なんとか嫌いな世界にしがみついていくための頼みの綱である「したらばのジョーカー」という手段すら、
その世界のサイクルの潤滑油としてあえて許容されているというのが、なんとも不条理だ。



世の中声のデカい奴が勝つ、圧倒的多数派だと"思われてる"奴が勝つ、抗いづらい真理である。
一人一人が本質を見極めて声を上げていくこと、サイレントマジョリティにならないこと、
そんな教訓を得た気になったところで、したらば町のしみったれた大人たちの中からイチ抜けたなんて声をたった一人で上げることができるだろうか。
勇気を持つことすら許されないくらい、彼ら住人にはすさまじいリアリティがあった。

それに、声を上げれば、行動を起こせばこそ、それが逆の結果を招きかねないことだってある。
だから( ^ω^)はジョーカーが誰か突き止めてなお本人への接触はしなかったし、( ゚∋゚)は次は助けないと誓った。
きっと似たような話はどこにだって転がっている。
どこか当事者の心があるからこそ我々は、彼らにもっと積極性を持てよと怒ることさえできない。
世界はそうやって消極的に回っていくのだという事実を刻まれて、暗澹とした思いのままジョーカーの行く末に幸を祈ることしかできない。

きっと似たような話はどこにだって転がっている。