【感想】( ^ω^)文戟のブーンのようです(第十回品評会)




( ^ω^)文戟のブーンのようです[6ページ目]より
ブーン系小説創作板(ファイナル)


ある本についての本の話

この「本」を読んで最終的にたどり着いた結論は、
ある本についての本についての本についての本についての…………本の話、
と無限に続く可能性がある、ということだ。


つまり「この本を読んだ自分という存在」が四次元の存在によって更に記述されていて、
それを読んだ四次元的存在がまた更に別次元の存在に記述されているという可能性。

これは別に自身が特別な存在であり、常に監視されているだとかいう厨二病よろしくオカルティックな話ではなく……。



先に四次元と言ったがこれは三次元空間上に存在する我々同士でも当てはまることである。

例えばここにこうして書いているこの小説の感想。
当作品を読み、そしてこの感想文を読んだ他の誰かがこれに同調したり、また反論を組み立てたりすることがあるだろう。
「なるほどそういう解釈もあるな」「まるで見当違いのこと言ってやがるなこいつ」等々、
そんな様々な支流の上書きによってより本流である作品が色づいていく。

そのような連鎖が無限に続いた結果が、作中で紹介された「本」の内の一冊、
我々がブーン系のそれだと分かったあの本である。


>無数の作者がてんで勝手に書き散らす一冊の書物。
>ページの最下部や最上部に、折り畳まれた紙が継ぎ足して貼られ、
>注釈や解説の体をとって、本流とは全く関係のない話が始められるような事が一度や二度ではない。


ブーン系に限らず、一般書籍にも当然この現象は見られていることだ。
一つの作品があらゆる解釈や感想を生み出し、評価される。
評論家が雑誌で持ち上げ、素人がネットで叩き、ファンによるイラストが溢れ返り、
また副次的にそれらに対する評価が生まれ、それに感化された者が新しく読者になり、また評価する、その繰り返し。


まさしく、鑑定士は、読者で、登場人物で、語り手で、作者ですらあった。
その中から真実を一つ見つけ出そうなどという読み方ができなかったのは至極当然の話だったのだ。



四次元うんぬんに話を戻す。
もしも余剰次元の概念が許されるのなら、さっき説明したような我々が生きている
この世界で生み出される相乗効果や相互作用(解釈・感想・評価その繰り返し)が、
次元を超えた未知の存在に同じようにあってもおかしくないと思ったのだ。

突飛な話かもしれないが、二次元的存在のモララーが三次元にいる我々という存在を認知した上で
「アカシックレコードがない世界」を創造しようとしたことからこの発想に至った。


この小説という体裁を持った記述が、数多に存在する内の一冊のアカシックレコードそのものである
というのはもはや言うまでもないだろう。


この記述が公開されない、もしくは誰の目にも触れずに埋もれていったなら、モララーの企みは上手くいったはずだ。
「アカシックレコードがない世界」を創造できたはずだ。
しかしそれは失敗に終わっている。

この記述を最後のENDまで読み切ってしまい、あまつさえ感想を書いている何者かがいるという時点で、
作品に言及したレスこそが物語宇宙の空間となり、「アカシックレコードの続き」となってしまっているからだ。


>例えばここに、その時々で書かれる「今」とは誰の何時のことなのか。
>常に前章以前を挿話の形で引用し取りこむ事で、自らの上位性を確立する後章。
>その遥かな連続体としてのこの物語宇宙。


モララーが語ったこの小説にとっての「今」はENDの三文字で終わりはしたものの、
当作品を読み終えた我々にとっての「今」はこうして現在形で続いている。
皮肉にもこの感想文でさえ当作品から引用しそれに言及することで成り立ってしまっている。



「作品に言及したレスこそが物語宇宙の空間」とは、一つの例え話でしかない。
何故なら感想を書いて投稿するという行為は二次三次元内でのやりとりにすぎないからだ。
多次元の存在は何を媒介にして俯瞰しているか分からない。

もしかしたら、我々が当作品を読み、何らかの感想を頭に思い浮かべた時点で、
それこそが物語宇宙の空間となり、本流に対する支流となり、アカシックレコードの続きとなるのかもしれない。

ブーン系が書かれていたあの本を鑑定士が読んだように、
またモララーの記述を我々が読んだように、
何者かが我々を読んでいても不思議じゃないと、そう思う。


自分なりに筋の通った解釈が出来たかなと満足しているが、それでも全てを理解できたわけではない。
結局の所こうであってほしいという願望でしかないわけだから。
物語として魅力的な噂こそが語り継がれていくと、この感想文もそういうロマンによって成り立っているところが大半である。

全てが見当違いだと作者に笑われるのを覚悟で、少々臭くなってしまうが、
今回の感想文の締めくくりは作中から引っ張ってくるのが個人的にスッキリするからそうさせてもらう。



ある本についての本についての本の話    END



(´・ω・`)想うようです('、`*川

病気で死んだのかと思った。
そう思わせる話の運び方が上手い。
抜粋していく日記の内容が結婚式などの一大行事だったり大きな旅行だったりではなく、
ほんのささいな日常を映すこと、また細かく変わるAAの表情と間の使い方によって
哀愁や憐憫の感情をほの暗いところに引き出された感じ。


>('、`*川「もしもし?」

>(´・ω・`)「あっ、ペニサス。こんな時間にごめん」

>('、`*川「……」


ショボンがペニサスのことを呼び捨てにしたときに「えっ????」ってなって、
更にこの「……」の間に、次の行を読むのも一旦脳がストップをかけて色々考えてしまった。

えっ愛人?えっいや幽霊?えっえっっとひとしきりやった後に海外出張だと聞いて
「よかった哀れみに追い打ちをかけてくるようなことになんなくて……」とほっとする。
すぐにタネ明かしがあってよかった。
テンポ良く読めて冷や汗をふぅ、と、ひとぬぐい、良い掌編でした。