【感想】最近読んだもの 2016/1/7

随分久しぶりの感想更新です。
感想ブログとして立ち上げたブログなのに、最近は作品まとめの活動のほうがメインになってきちゃっている。
て、前にもこんなこと言わなかったか?
もっと更新頻度を上げたいと思うのだが、感想を書くとなると腰を据えてさあやるぞ!と
気合を入れなきゃいけないのでそこが悩ましい。
ここに書くことを悩んでいるとその分煙草が減るのでこの辺にして……。


いや、そうそう、クールライターという名前なんだが、これについて一つ言っておきたいことがあったんだった。
もともとブログを立ち上げるに際してマスコットキャラ的なAAがほしいなと思った私は、そこでたまたま目についたのがライターのAAだった。
これを着ぐるみにしてしまえと、着てもらったのが川 ゚ -゚)なのである。
つまりクールライターという名前は成り行きでそうなっただけで、決して「クールな口調で感想書くよ」とかいうダブルミーニング的なあれはないからその辺よろしくお願いしたい。
では感想どうぞ。










生きるようです

生き続けること、死ぬこと、その分岐点に立たされ、しかし両方ともが絶望に染まっていたとしたら……。
生死感を問い訴えかける読後感ではなく、言ってしまえばそれぞれの人生のありかたに単純に焦点を当てていっただけに終わる、
たしかに群像劇を感じれる作品でした。


ただそれならもっと、各話に繋がりがほしかったとも思う。
1話に出てきたデレとモララーの、周辺の人物が2話以降登場するけど、それならこの二人の生死感やその結末を主軸に展開していってほしかった。
5話などはデレの名前がただ出てきただけに終わったので、群像劇としてみると繋がりが薄い感じがある。


と、いったものの、私的に一番面白い、というか共感したのも5話だったりする。
全ての物事に対して猜疑心が働き、何も信用できずに腐っていく。そしてそれを外面に表そうとはしない人間。
最後に海に向かい、踏みとどまる描写がたまらなく好きです。
なんかこう……言い表せないけど感情を煽るものがあるんですよね……。込み上げてくるというか。



>今夜は新月だ。
>冬の海を照らすものは何もなく、砂浜と水との境界線は限りなく薄い。踏み越えるには、丁度いい日なのかもしれない。


この文は読んで一目惚れでしたね。



>「凡庸な僕達は決して輝くことなど出来なくて、悲劇のヒロインにもなれなくて、それでも何かを見つけたくて手探りで何かを探す」

作者が一番言いたかったことはこの一文だろう。
各話の最後の「私はーー」の後に続く言葉が「死」でもおかしくないのに、それでも彼らは絶望に満ちた「生」を選ぶ。
死を選び、しかしそこから一歩踏み出すことを躊躇わせる何かがある。
何かは分からず、けれど縋り付き、追い求めながら生きていく。


彼らが辿ってきた道も、辿ってきた彼らの成れの果ても、
そして絶望と知って歩くこれからの道も、また人生なのだと言い切るラストに胸が詰まります。










Collector's Album 立ち枯れる

このお話は、本編の言葉を借りるなら、ジュブナイル的物語を通過した後の、萎んでいく最中のワンシーンなのだろう。
どうしようもない男に惚れてしまった、どうしようもない女の話。
現実に打ちのめされてしまった男女の道を別つ話。


本当に社会とは嫌なやつです!
金がなければ何もできない。その金を得るには働くしかない。
そんなような当たり前の問題にヒッキーという男は、自分の猶予期間中に備えた自身なりの在り方や処世術が、
現実には何一つ通用しないことを知ってしまったんです。


彼はもう死んでいる。
ベッドと、家族写真と、造花と、携帯電話しかない真っ白な部屋で、隔絶している。
あとは身体が萎んでいくのを、ただじいっと待っている……。
身体は生きているものの、精神が死んでしまっている、故に"立ち"枯れる、なのか……。



彼が語り終わりの視線を家族写真に投げかけたとき、ツンは敗北感を覚えたけれど、
私は最初、この敗北感というワードに違和感を覚えました。
間違っているのはヒッキーだと分かっているのに、それでも負けを感じたというのは、どうも当てはまらない気がする。


このときはやはり、彼女も分かっていなかったと思う。
彼女は何に負けたのか。
たぶん、彼女は、はやりヒッキーと同じように、現実に打ちのめされたのだろうと私は考えました。
彼女は、ヒッキーを救えない、助けさせてくれない社会の現実に負けたのでしょう。
あるいは、それをするにはあまりに力を持っていない、己自身に敗北したんです。


>けれども、もしかしたらそれ自体が敗因だったのかもしれない。
まさしくその通りで、彼女がもっと早くにヒッキーを諦めていたなら、こんな敗北はありえなかったはずです。


そして彼女は決別を決意する。
しかし、それをあえて遮ってヒッキーが先に口を開きます。
「分かっている。もはや答えは出てしまっている。それなのに、僕は今まで延々と甘え続けていた。」

もしかしたらヒッキーは、自分が"生活"するためのきっかけを、糸口を、ツンに期待していたのでしょう。
淡い淡い期待だったろうが、しかしそれに甘えていたんです。


彼は本当に分かっているのだと思います。
もはやどうにもならないことを。自分の責任は自分にあるのだということを。今まさに彼女が抱いていた思いも。
だから彼は自分から別れを切り出します。彼女のこれからの人生に、自分が染み付いてしまわないように。
彼女の口から別れを切り出せば、きっとそれは彼女自身の記憶にいつまでも焼き付き、後悔の念にかられ続けるはずだから。


彼は最後まで自分を崩さず、静かに、簡素に、あくまでそれが自然の流れだとでもいうように、ツンに別れを告げ、
これからも生活を強いられ続けていくであろうツンの記憶から、少しずつ少しずつ自分を消していきたいと願ったのでしょう。

「さようなら、そしておやすみなさい」
こんなシンプルで、なんでもないような言葉を使ったのは、彼が最後に見せた彼女に対しての思いやりだったのかもしれません。



どうしようもない男女の、どうしようもなく不条理で、理不尽で、哀れな物語です。
きっと私がこれを読み返すときは、もう一度このヒッキーをふと思い出したときでしょうね。
現実とはいやに冷たい隙間風。心に沁みる一言です。










Collector's Album ヘルタースケルター † 妊婦 † ドロップキック


何か考察するまでもなく、作者の言いたいことは作中で語りつくされていることと思う。
人望を得られなかった少年と闇医者とが、破滅願望から滑り台に乗った、ストーリーとしては、それだけなんだけれど……。

どうにも、煮え切らない感情だとか、納得かがいかないとか、そういう読後感は沸いてこない。
本当にこの二人の人間には乾いた拍手でしか送ってやることができないかもしれない。
これは私だけがそうである、というわけでなく。


むしろこんな小説がネットの片隅の、ごく一部の人の目にしか触れないという事態が、
しかしそれこそが適当であると納得してしまうことが、どうにも煮え切らない。
もしこれがキチンとした媒体で、おおっぴらに明るく宣伝されていたとしたら……、それはそれで不自然に感じてしまうだろう。
薄暗い地下室にこそあるべき小説、という感じが、この小説自体が、闇医者の境遇に重なって見える。
そういう見方のほうがごく自然に見える。

>今はダメでもいつの日か、言葉で人の心を動かせると信じて疑っていなかったのに。
そんな作者所感のような文があるためだろうか。


題にある「ヘルタースケルター」とは、螺旋状の滑り台という意味らしいですね。
少年と闇医者の二人の運命、意志、思惑、そういったものが、少年が地下室の扉を開いた瞬間に遭逢するのだけども、
それぞれの滑り台は二重螺旋のように、どこかで交ざり合うなんていうこともなく、それぞれの絶望へ落ちていった、ということなんでしょう。

それ以前に、二人それぞれ歩んできた人生の中で関わってきた色々な人間ともどこかでぶつかり合うことがなかった。
ぶつかり合ってつっかえれば、希望へ続く階段を探す猶予や余裕が生まれたはずが、そういう機会を掴み取ることができなかったのだろう。
とかなんとか、勝手にそんなイメージを持ってしまいます。



手術方法はともかくとして、筋組織を最大化なんてすごい発明をしても、その目的が妊婦にドロップキックをするためだなんて、無駄、そしてなんとも滑稽じゃないですか。
そいつが核爆弾の代わりになるだなんて、本人も全く思っちゃいないだろうが、これを思いついた時には既に滑り台を滑っている途中だったのでしょうね。
そして生まれ変わった少年もといロボットは、結局妊婦にドロップキックをかますことができたんでしょうか。


その答えは、地元の人も近寄らない、つまり人気なんて全くない、断崖の下で彼が死んだことが表していると思いますが……。
ターゲットを定めるためだけの機能と化した目耳鼻が、何故彼をそこへ導いたのか。
あるいは、少年の自意識は完全に死んではいなかったとしたら……、これは闇医者すら救われないエンディングだ。


でも、少年が人間として取り扱われて死んだとすれば、それはもしかしたら、喜ぶべきところなのか。
しかし死ぬほどの苦痛を味わって生まれ変わった先が結局人間としての死というのならば……、
崖っぷちに立った彼の心境を考えると……、空も地面も無い真っ白い荒野が思い浮かばれる。
いや、もしかすると、かろうじて残った少年の自我は、生命の根源たる「母なる海」に、ドロップキックしにきた。
そんな考え方もありなんじゃないでしょうか。


自分的にはこの、「見た目は人間そのものだから、肉体的に死んでも人間として処理される」というオチが、かなり好きです。










何気ない会話のようです


ありがちな会話劇ギャグなんだけど内容が言われてみれば確かに、という疑問で、読んでてすごく楽しいです。
透明人間とかふたなりとか媚薬とかの現実問題が知れて、偏った豆知識が増えるのもお得。

ショボンのつっこみが面白い。
ショボンの知識がいい進行になってるっていうレスがあって、ほんとにそうだなぁと思いました。
ギャグのコツってこういうところにあるのかな?
セリフも一文か二文でポンポン会話が進んでいくのが、このくらいが一番読みやすいのかも。

回を重ねていくうちにギコの個性が少しずつ見えてきていいですね。
いや、キャラが立っても結局ばかなことには変わりないんですけど、なんというか愛らしいです。

私的には、魔法のオナホでチンコ断面になってたら女の子怖がって気持ちいいとかそれどころじゃなくなるだろなぁと思います。










( ^ω^)みんなで人狼をやるようです
衝撃的だったのは、ブーン系民にわりと人狼経験者がいるということでした。
人対人じゃないと成り立たないゲームだから、みんな結構アクティブなんだなぁと。
なんか最近流行ってるみたいだし、私もやってみたいなぁって思ってはいるんですけど、
引きこもりの性分だし、やっぱり難しそうだなっていうのがありますよね。
用語が少しだけ分かる程度の知識なので、かなり流して読んだのですが、楽しそうな雰囲気が伝わってきてよかったです。

感想戦を読むとすんごい心理戦が繰り広げられていて、うはーすさまじいなぁ、
こいつら瞬時にこれだけのこと考えながらしゃべってんのかよ、頭良すぎかよ、なんておののいてました。
全部理解してちゃんと読めばもっと面白く感じること間違いなしなんでしょうがね。
盛り上がらない気がするとか意見が最初ありましたが、すごく盛り上がった作品だと思います。










( ・∀・)モララーさんは背後霊のようです

一話一話がたった数レスの全12話の作品なのに、中篇を読んだような充実感があります。
つまりかなり内容が濃い。一体1レスに何個のボケとツッコミが入っているのか。
しかもそのひとつひとつが本気で読者を笑わせにきている。

それと、よく擬音で笑いを誘えるなと、ここがすごいところですよね。
擬音に限らず、5W1Hとか語感が似てるものをチョイスしたり、出すとこ出すとか言葉を入れ替えてみたり、
こういうのを思いつきでやってるのか、それとも普段から考えて作り出しているのか、
持って生まれたセンスがこれを作り上げるのか、作者の頭の中はどうなっているのか。

ネタを乱れ撃ってるといえばそうなんだけど、博打のような感じはしないのが不思議です。










( ´_ゝ`)痛美味しい麻婆豆腐のようです

わかる。この口内炎ができたときの目の前の食事との葛藤、食うべきか食わないべきか、めっちゃせめぎ合うよね。
しかもそういうときに限って目の前に大好物が出てきたり、友達との食事の約束とかと被ったりするから生殺しですよね。
結局痛みに耐えながら食う選択をすることになるのは宿命なのか。生殺しは辛いからね。

このカイジ調の地の文、食事描写にわりかし合うんですねぇ。
兄者の苦しみと、そして麻婆豆腐の味がすっげえ響いてくる……。
この熱→山椒→旨味という流れが唾液をどんどん出させるんですなぁ……。
読んだのが深夜だったので強烈なダメージを受けました。

改めて熱の描写があったのは、なるほどなぁって、
食事シーンを描く上ではこういう要素が、案外と味の描写より大事なんじゃないかと気づきました。
私も前ブーン系で何回か飯テロしたことあるんですけど、味を書くことばかりに熱がいってて、
意識しなかったわけじゃないんですが他の要素が疎かになってたかなって、そういう反省をさせられましたね。
突撃兵とかの比喩も良かった。
これから食事描写を書こうとしている人は要チェックな作品だと思います。










( ^ω^)すれ違うようです

よくアンジャッシュ的ネタと言われますが、この形式のネタを思いついたのはアンジャッシュが初めてなんですかね?
このネタって見てる分にはすごい面白いんですが、ネタを考える側としては作りづらかったりしないんでしょうか?
なかなか高度なことをやっているような気がして、作者さんをちょっと尊敬してしまいます。

お互いのキャラの勘違いの仕方も自然で、たまに入る不自然な噛み合わなさも、
読者による「何でそこで気づかないんだ!」というつっこみが入ることで面白くなるという……。
特に3話の( ^ω^)「これは犬です」と言われたときのドクオの!?の多さがすごいツボに入りました。
まさに「そこで気づけよ!」ってなりましたね。

最後に必ずショボンが出てきてドクオが犯されるというオチも、
無理矢理な落とし方だけど乱暴な感じがせず、むしろ様式美というか、面白いんですよねぇ。
あといくつか続きがこないかなと、ひそかに楽しみにしている作品です。







人形芝居のようです

何といっても最後の一行に鳥肌が立ちます。
二人称小説に見せかけた一人称小説、という仕掛けなのだと解釈しています。
"私"も店内のどこかに座って"あなた"を見ていた人間だった。
いきなり視点が一人称の私に切り替わったのでびっくりしました。
こういう実験的な作品好きなんですよね。


そう、例えばこんなようなハンバーガーショップに一人で座っていると、
同じ一室にいて、雑音を共有している彼らとはしかしこれっきりの関係なんだろうなと考えると、人形劇の人形という表現は的を射ているなと思います。
もしかすると、私以外の人間は人間の形をしているだけで意思がない、私の人生にとっての只のエキストラなんじゃないか、とかね。
ちょっと厨二臭かったですかね。


そんな中で、"あなた"にしてみれば未だその存在すら認知されていない"私"が、彼にとっての人生の重要な選択をするきっかけになり得れば、
"あなた"にとって芝居人形にすぎない"私"が、そこから脱することが出来るという、希望的観測とでもいうか、儚い願いが伝わってくる……。

なんか難しい例えになってしまいましたが、つまり誰かにとっての特別でありたいんですよね、我々人間というのは。
みんなにとっての特別にはならなくてもいいから。

同時に、"私"にとっても"あなた"が特別になってくれることを願ってる。
ただすれ違うだけのお互いが、そんなものになる可能性なんて無いに等しいんですけれどね……。


まったく、ただの気持ちの問題なんです。
特別になったと、なったはずと思い込めれば、物事っていうのは動き出すはずなんですけどね。
自分を騙すってのはなかなか難しいから苦労してるわけなんですよ、我々は。

スターシステムなんて、やっぱり生きてる人間には通用しないんですから、私以外の人間だってちゃんと生きて生活しているのが現実なんですから、
ちゃんと、それを意識して、その前提で願わくは、私も誰かにとっての新たな一歩を踏み出す契機となれればーなんて思いました。

自己啓発本とか嫌いなんですけど、そんな感じの感想になっちゃいましたね……。