立ち枯れる

463 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:01:36 ID:axhxS1Rs0
2.立ち枯れる

ツンはヒッキーの部屋にやってくるたび、
彼がこの部屋をサナトリウムかホスピスと勘違いしているんじゃないだろうか、と勘ぐってしまう。

真っ白い壁に家族写真を掛け、ベッドの脇に造花をあしらっている様なんかはまさにそれっぽい。
けれど不気味なことには、その家族写真はヒッキーと何の関係もない、
それどころかどこの誰とも分からぬ集合なのだ。

だから本当のところ、そこに映っている数人の男女が家族であるという証拠は何もない。
ツンがヒッキーに写真について訊ねたとき、
彼は駅前にシートを広げていた物売りから五百円で購入したと言った。

これといった愛着が湧いたわけでもなく、ただ単に目についたから買ってみたらしい。
物売りの若い男性も、そんなヒッキーを奇異の目で見詰めていたという。

464 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:04:29 ID:axhxS1Rs0
真っ白い部屋の中でヒッキーはいつも寝転がって無表情に携帯を弄っている。
何が楽しいわけでもなく、おもしろいわけでもない。
むしろ自分から積極的につまらない生活を送ろうとしているかのように、ヒッキーの日常は変わらない。

いつか持ち得た貯金が底をついたとき、ヒッキーはいったいどうするつもりなんだろう、とツンは考える。
私に頼るのだろうか。けれど、私だって他人を養うに足りるほどの稼ぎがあるわけじゃない。
今でさえ、冬物のコートを買うお金に四苦八苦しているのだから。

けれど、面と向かってお金の話をするのは止しておこう、とツンは心に決めている。
始めてしまえばきっと険悪な雰囲気になってしまうし、
それに、いくらお互いを理解し合ってもお金が降ってくるわけではないのだ。

人間関係に深く食い込むのに、自分たちの努力だけではどうにもならない。それがお金というものだ。

465 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:07:18 ID:axhxS1Rs0
ξ゚⊿゚)ξ「昨日、漫画を読んだんだ」

と、ツンは自分の方には一瞥もくれないヒッキーに言った。

(-_-)「ふうん」

ξ゚⊿゚)ξ「……あのね、何の変哲もない商店街に銀色の小さい箱が降ってくるの。
      雲一つない真っ青な空から、アーケードの屋根を突き破って銀色の箱が落ちてきたわけ。
      その箱はとっても綺麗に輝いていて……なんというか、どことなく神々しい感じすらあったのよ。

      けれど、その街の人々は、誰もその箱に興味を示さなかった。
      みんな、壊れてしまった屋根を修理することとか、
      安全管理の責任者に文句をつけることにばっかり必死になってるの。

      で、その箱は野次馬の子どもに蹴り飛ばされてどこへともなく転がっていっちゃうんだけど。
      ……実はね、その箱は賢者の箱と呼ばれていて、
      天の神様……正確には神様じゃなかったっけ、まあいいや、そんな存在だったのよ。

      それを手に入れて簡単な操作をすれば誰だって神様になれる。
      もしくは、何でも思い通りにすることが出来るぐらいの力を手に入れられたってわけ」

466 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:10:33 ID:axhxS1Rs0
(-_-)「……それで?」

ξ゚⊿゚)ξ「それだけだけど……」

(-_-)「そう」

ヒッキーは相変わらず携帯の画面から視線を移さずに小さく言った。

(-_-)「何だか古くさい筋立てだね。一昔前のショートショートみたいだ」

ξ゚⊿゚)ξ「その通り。
      なんか、昭和のSF短編集みたいなのを古本屋さんで立ち読みしてね……
      作者はマイナーらしいんだけど……まあまあ面白かったような気がして」

(-_-)「よかったね」

ξ゚⊿゚)ξ「ヒッキーもそう思う?」

(-_-)「いや、君が面白かったと思うなら、それでよかったんじゃないの」

ξ゚⊿゚)ξ「……そうかな」

(-_-)「うん」

467 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:13:28 ID:axhxS1Rs0
ツンが抱え込んでしまっているそれこそ理不尽なまでの孤独感は最早解消の術を持たない。
それほど広くはない部屋に二人っきりでいて、
会話まで交わしているというのに、ツンはまるで独りぽっちだった。

叶えられるならばこの寂しさを充足で埋めてしまいたい。
そしてそれが出来る相手はヒッキーしかいないのだと彼女は信じ切っている。
そしてそのために、そのためだけに彼女はヒッキーの元へ足繁く通うのだ。

ξ゚⊿゚)ξ「ねえ、今日はあんまり寒くもないし、どこかに出かけない?」

(-_-)「いや、やめておく」
 
かたやヒッキーも独りぽっちだ。少なくともツンの目からはそう見える。
彼は四六時中携帯を手放さないが、メールやソーシャルネットワークの類いが嫌いなタチである。

具体的に何をしているかはよく分からないが、何をしているにせよ、
彼が誰かと交流していないことだけは明らかだった。

だからこそ、そんなヒッキーがツンの存在を殆ど無いものとして扱って平気でいられる理由が、
彼女には心底理解できずにいるのだ。

468 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:16:07 ID:axhxS1Rs0
昔はそうではなかった気がする。いや、そうじゃなかったに決まっている。
ヒッキーが真実孤独とだけ寄り添っていたならば、ツンとの接点も生まれなかっただろう。

昔は、少ないながらも会話――記憶に残らないほどささやかで、それ故に幸福な会話――
が交わされていたはずだ。ちょっとぐらいなら、抱きしめてくれたこともあっただろう。

けれどそんな昔日はとっくに化石化していて、二十代そこそこであるはずの二人の間柄は、
寒々しいというよりもむしろ、老衰を待ち侘びているかのごとく萎れてしまっている。

特にヒッキーの無関心さときたら……瑞々しく生い茂る森林の中で、
たった独りだけ立ち枯れてしまったみたいだ。

ξ゚⊿゚)ξ「……携帯で、何をしてるの?」

(-_-)「別に。とてもどうでもいいことだよ」

469 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:19:21 ID:axhxS1Rs0
ツンは薄ぼんやりとヒッキーの左腕を見遣る。
生白い――たぶんツンよりも白い手指、傷一つ無く真っさらだが、どこか不健康に見える腕……。

病人だと紹介されれば信じてしまいそうな肢体だ。
いや、あらゆる物事に興味を失い、正常な人間から乖離してしまっているという点に於いて、
彼は実際に病気であると言えるかもしれない。
 
正常な人間……そんな概念はツンにちょっとした罪悪感を抱かせた。
それはまさしく、自分がヒッキーを、少なくとも今のヒッキーをまともだと思っていない証左なのだから。

出来ることならば一番の理解者でありたいと願っている自分がその実、
彼の人格を異端視してしまっている。あまつさえ、その人格に対する不満しか抱いていないのだ。

彼に歩み寄る心意気も無ければ、その人格を解明できる手立てもない。
彼を見詰めていて得られるのは、自分自身を糾弾する心の声ばかりだ。

470 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:22:15 ID:axhxS1Rs0
けれども、一切合切が自分のせいであるわけじゃない、と彼女はついつい歯向かってしまう。
ヒッキーだって悪いのだ。ヒッキーは私のことをもっと甘やかすべきだし、
時には私が悶絶してしまいそうになるような茹だった言葉をかけてくれるべきだ。

そうでなくとも、この私に、疲弊してしまっているこの私に少しぐらいは視線を投げかけてほしい。
生きている限りはどうしても避けられない、そのくせ限りなく鬱陶しくて面倒くさい問題に苛まれて、
私はこんなにも疲れ切っているのだ。

そんな疲弊した心のどこに、ヒッキーを理解するだけの隙間があるというのだろう。
私は精一杯に取り組んでいる。精一杯、精一杯に取り組んでこの有様なのだ。

持てる力を存分に擲っても、
私はただ、ヒッキーの部屋でヒッキーに無視されながら寄り添うことしか出来ないでいる。
そんな自分を救うヒーローは、ヒッキー以外にいないのだ。

例えば貴方がもう少し関心を向けてくれるだけで、私はもう二歩か三歩前へ進めるかもしれない。
それは傲慢な望みなのだろうか。自虐に心を痛ませねばならぬほど、独善的な感情なのだろうか。

ξ゚⊿゚)ξ「晩ご飯……作ってあげようか。今から何か買ってくるし」

(-_-)「冷凍食品の買い置きがあるんだ」
 
ツンは唐突に、あまりの寂しさといたたまれなさに泣き出してしまいたい衝動に駆られた。
自分がヒッキーに抱いている想いが、
そしてそこから見出される自分自身の性根のすべてが情けなかった。

471 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:25:15 ID:axhxS1Rs0
(-_-)「最近、よく思うんだ」

今にも涙が具体化しようとした瞬間に、おもむろにヒッキーが口を開いた。
相変わらず携帯の画面を目で追ったまま。

(-_-)「ユープケッチャという虫がいる。いや、実際にはいないな。
    ユープケッチャはとある小説家が編み出した架空の虫だ。
    その虫はとある小説に登場するけど、別に主役を張るような存在じゃない。

    それは一種怠惰と孤独の象徴なんだ。
    その小説によれば、ユープケッチャは一センチ五ミリぐらいの、
    足を持たないずんぐりとした昆虫で、自分の糞を主食にして生きている。

    長くて丈夫な触覚を使い、太陽と同じ方向に回転しながら糞を食べ、また排泄しつづけるんだ。
    その速度があまりにも遅いものだから、排泄物が再びユープケッチャの口に入るころには、
    種々のバクテリアが糞の養分を再生産してくれているというわけさ。

    こうして日がな一日食べ続けているユープケッチャは日没とともに眠りにつく。
    どうだい、極めて合理的で、かつ魅力的だとは思わないか。

    ……けれど人間とユープケッチャの間には数多の相違があって、
    その中でも最大の齟齬は、人間が自身の排泄物を食事としては生存しえないということだ。
    自給自足という生活はある意味でユープケッチャ的と言えるかもしれない。

    しかし、それは同時にユープケッチャの持つ怠惰を真っ向から否定することになる。
    つまり、人間がどれだけ憧れたところでユープケッチャ的にはなれないということなんだよ。
    それは僕みたいにつまらない引き籠もりの人間が抱きやすい妄想に過ぎない。

    そして畢竟、その妄想を具現化させる最も手っ取り早い方法は、
    おそらく自死をおいて他にないんだろう」

472 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:28:19 ID:axhxS1Rs0
酔いどれの繰り言のようにヒッキーは喋り続ける。
時折ヒュウヒュウと喉を鳴らすのは、日常で声を発していない弊害だろう。

それでもヒッキーは携帯の画面に向かって、或いは壁に向かって、
苦しげながら吃ることもなく言葉を流し続ける。

(-_-)「ただ、だからといって死んでしまうことがユープケッチャ的だとは思わない。
    相反しているとさえ言えるだろう。

    何しろユープケッチャの生態はまさしく生存のための戦略であって、
    自死を目的とするものではないのだから。

    僕が思うような、また僕以外の面白くない人間が思うユープケッチャへの理想は、
    結局存在し得ない独り善がりでしかないと言うことになる。

    それは、一見して最低限の生活レベルを希求しているようにも思えるが、
    考え方によっては身の丈に合わない高望みであるとも言えるかもしれない。

    ただ、理想や憧憬の厄介なところは、それが麻疹か何かみたいに自然治癒されるまで、
    延々とその夢物語に囚われてしまうところなんだ」

473 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:31:11 ID:axhxS1Rs0
ツンは黙り込んだ……黙り込むことしか出来なかった。
湧き上がった思いは、彼が積極的に口を開いてくれた喜びよりも、戸惑いの方が遙かに大きかった。

どちらかと言えば現実志向の彼女がヒッキーの抽象的な……
それも、彼の脳内で熟成に熟成を重ねた挙げ句に、
発酵してしまったかのような理屈をまともに追いかけられるはずもなかった。

彼女は理解へ結びつく手がかりさえ見つけられずにひたすら混乱していた。
 
けれどその混乱の中で……嘗て抱き締めていた慕情の景色がはっきりと脳裏に浮かび上がってきた。
それは紛れもなく、ツンのヒッキーに対する想いの端緒だった。
 
そうだ。最初っから、ヒッキーはわけのわからない人だった。
口を開けば頭が良いんだか悪いんだか分からないような言葉ばかり並べ立てるし、
そのくせ自分自身の主張には絶対的な自信を持っていた。

行動的でも現実的でもないくせに、
世の中の出来事にあれこれ口を挟むことには人一倍の熱意を注いでいた。
そのうえ、自己表現のためならば何者をも厭わなかった。

474 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:34:19 ID:axhxS1Rs0
きっと自分がどこにでもいるような厄介な人間だということをヒッキーも自覚している。
それでも自分の生き方や考え方を一切改めようとはしなかった。
 
ヒッキーはそういう人間なのだ。誰もが彼をそういう人間だと理解していた。
そして彼のことを誰よりも理解していたはずのツンは、遂に彼を愛してしまったのだ。

例え厄介でも構わない、むしろ厄介であるからこそ……
彼女はヒッキーに純然たる恋慕を寄せることが出来ていていた。
理屈などつけられようもない。恋とはたぶんそういうものなのだ。

その恋情は昔日の頃、確かに巨大な存在としてツンの心に取り憑いていたし、
それはきっとヒッキーも同じだったと思う。しかし、過去はあくまでも過去なのだ。

今のツンには自分がヒッキーに対して抱いている最も大きな感情が、
愛であると断言するだけの自信も勇気もなかった。

475 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:37:21 ID:axhxS1Rs0
(-_-)「そもそも理想や憧憬を追い求めることこそ、最もユープケッチャ的ではないのかも知れないな。
    ユープケッチャは子孫を残すために繁殖期になってようやく動き出すわけだけど、
    その時の彼らの心境なんてものは想像しただけで怖ろしいよ。

    きっとその瞬間に、ユープケッチャはその矮小な脳でさえ、
    自らに与えられた遺伝子的な使命に気付き、絶望するのだろうね。

    いや、子どもは可愛いものさ……
    老人ばかりの街中でまだ幼い子どもを見たときは頬が緩んでしまいそうになる。

    けれど、それが親子という形でどこかの大人とハッキリ血が繋がっているって想起させられるたび
    ……ゾッとするね。彼らの容貌に、才能に、その遺伝子というやつは、
    無理矢理にでも介入してくるわけだから……ねえ……?」
 
その一瞬、ヒッキーの視線が少しだけ動いた。
それを目にしたとき……ツンはただならぬ驚きと失望を覚える羽目に陥った。

ヒッキーがその一瞬で視界に捉えたのはツンの立ち姿ではなかった。
彼が目にしていたのは、或いは言葉を投げかけていたのは真っ白い壁に掛けられている、
どこの誰とも分からぬ古びた家族写真だったのである。

未だ、ツンには一瞥もくれていないにも関わらず。

476 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:40:04 ID:axhxS1Rs0
彼はもうとっくに、ツンが自分の話を聞いていないこと……
少なくとも、理解できないで沈黙していることを無視と捉えられても仕方がない……
に気付いてしまっていたのかもしれなかった。

ツンは懸命に、ヒッキーがその家族写真を購うなどという奇行に走った頃のことを思い出そうとした。
だが、記憶はあまりにも不鮮明で、靄がかってしまっている。

これがもっと以前……つまり、ツンがヒッキーのことを至上に想っていた時期であれば、
そんな一日のことを忘れているわけがなかった。
客観的な概要だけでなく、会話の仔細まではっきりと記憶していたことだろう。

例えばツンはその写真が不気味であるという風には認識している。
しかしそれを購ったときのヒッキーの心境にまで考えを及ばせられていただろうか……。

つまり、ヒッキーがその写真を購った時点で、
ツンが彼に抱いた愛情は既に冷めかかっていたのかも知れなかった。

477 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:43:31 ID:axhxS1Rs0
ツンは、まるでツンという一人の人間が立ち枯れてしまったかのようにその場に座り込んでしまった。
自分は間違っていないと確信している。間違っているのがヒッキーだということも理解できる。
それでもなお襲いかかってくるこの巨大な虚無感と敗北感の正体はいったい何なのだろうか。

ヒッキーのことを、誰よりも深く真剣に考えてきたつもりだ。
彼の健康にも、人一倍気を配ってきた。けれども、もしかしたらそれ自体が敗因だったのかもしれない。

サナトリウムを演出し、そこから殆ど動かずに日々携帯の画面と向き合っているヒッキーに、
ある意味で惹かれていた時期があったような気がする。
けれどもそれはすぐに別の悲観的な物事に置き換えられてしまった。

年齢や金銭などという、途轍もなくどうしようもない現実的な問題だ。
今や彼を一般社会だの日常生活だのという普遍的な枠組みに当て嵌めるのは不可能である気がした。

いや、そもそも最初から出来た話ではなかったのだ。
それが出来るならそもそもツンはヒッキーに好意を寄せなかっただろう。
ツンは、自分の中にある現実志向を超越した何かに恋をしていたのだ。

その象徴こそがヒッキーだった。
ここに抱く寂寞は、今やヒッキーの非現実性が自分を妨げはすれど、
救いはしないのだということにはっきりと気付いてしまったからこそ持ち得てしまったものなのだろう。
 
何のことはない、厄介なのは自分も同じなのだ。結局現実は向こうの方から勢いをましてやってくる。
ヒッキーの力を持ってしても立ち向かえるものではなかったのだ。

478 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:46:22 ID:axhxS1Rs0
今、ツンは酷く疲弊している。それは現実が持ち込んできた嫌な嫌な疲弊だ。
あまつさえその疲弊をツンはヒッキーと解消はおろか共有さえ出来ないのだという事実を、
明確に認識してしまった。

そしてその瞬間に、両者の間に煤けながらも描かれていた恋模様を、
破局という当然の結末に導かれることが決定されたのだ。現実とはいやに冷たい隙間風なのだ。

どんなに燃え上がっていた恋心も、ゆっくりと、着実に冷まして最後には煙一つ立たない炭にしてしまう。

そう、だからこの恋心が少しでも此処に残っている間に、ツンはヒッキーから離れてしまうべきだった。
それは後に想像もつかないような醜い痕跡になってしまうかもしれない。

しかし、何にしたって、燃え盛った名残というものは粗末に出来ていて、
人の心に憂鬱をもたらしてしまうものだ。

それを覚悟してさえ、ツンは、ヒッキーへ別れを告げねばならないという使命を、
心の奥底で噛み締めていた。

それは彼女の意識へ立ち上った瞬間に、使命へと早変わりしてしまったのだ。
必要なのは一抹の踏ん切りだけだった。

たったそれだけで、ツンは長らく続いたヒッキーとの関係を終わらせようとしていた。
終わらせてしまいたかったのだ。

479 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:49:42 ID:axhxS1Rs0
しかし、ツンは口火を切ることができなかった。先にヒッキーが口を開いたからだ。

(-_-)「分かっているよ。いや、もしかしたら何も分かっていないのかもしれない。
    けれど僕の中ではもはや答えは出てしまっているんだ。だってそうだろう。

    僕は所詮志願してこの部屋に入牢した囚人で、
    他人とコミュニケーションをとる許可なんて得られる身分じゃないんだ。
    そんなことは火を見るよりも明らかだ。

    それなのに、僕は今まで延々と甘え続けていたんだろうね。」
 
ツンは、ヒッキーがいつの間にか自分の方を見て喋っていることに気がついた。

しかしその相貌は洞穴みたいになっていて色がなく、
顔がこちらを向いていると表現した方が正しいのかもしれない。
ヒッキーはもはや何一つ眺めていないようだった。

480 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:52:13 ID:axhxS1Rs0
(-_-)「僕にはもう何も残されていない。それでいいんだ。そうでなければならないんだ。
    こんな人間の役目なんて、モラトリアムを過ぎた段階で完全に消え失せてしまっている。

    あとに残っているのはせいぜい、消し炭としての人生だよ。
    何をするでもなく、自死に至れるわけでもなく、
    ただ日々に自分の筋肉と記憶力を落としていきながら……。

    そんな人間の末期に、
    これから生きてゆかねばならない人の生活を巻き添えにするわけにはいかない。

    誰だって自分の人生の終わりは自分で決めるべきさ。そうだろう?
    誰かが誰かの影響で生きてゆくなんて、あってはならないことだよ……。
 
    きっとね、人間というものは成長しないんだよ。
    成長と呼ばれるものは全て洗脳であって、自発的な精神の進歩なんていうのは有り得ない……
    だって僕たちの人生は、いくら頑張ってみても日常生活を逃れられるものではないのだから……」
 
ツンはヒッキーの弁舌に聞き入っていた。或いは、ツンは嘗て、
まだ自分たちが生活などというものを頭の隅にも置かずに済んでいた日々のことを想起し、
懐古の想いにうっとりと浸っていたのかも知れない。

一瞬だからこそ許される懐古であり、決して遡れぬ過去を想うが故の甘美さだった。
ああ、どうして儚いものに想いを寄せずにはいられないのだろう。
何一つ儚さを身につけられない自分にとっての憧憬なのだろうか……。

481 : ◆xh7i0CWaMo :2015/11/14(土) 21:55:10 ID:axhxS1Rs0
(-_-)「……何にせよ、人は『洗脳』なり『成長』なりを経て生き存えてゆくんだ。
    それこそがこの世の中の、最大にして唯一の基本的なセオリーなんだよ。
    僕はそのレールから脱線し、腐敗していくことにした。でも君はそうじゃない。

    現実に明け暮れ、疲れ切ってしまっているその顔が何よりの証拠だ。
    僕たち二人の人生は所詮ジュブナイルだった。
    そこから先は君一人で描いていくという具合……嗚呼、なんて白々しい表現なんだ! 

    いやになる……きっとこれこそが逸脱したことによる副作用なのだろうね。
    平易な言葉で語らなければならない。言葉なんて数を覚えても何にもならないのさ。
    最低限、ビジネス用語が出来ていればそれでいい……。

    愛の言葉なんてそのうち絶滅するだろう。
    言葉が繁栄している場所があるのだとしたら……そこは天国だろう。
    そう、だからシンプルに、シンプルに……。君に贈る言葉はたったこれだけで十分だろう。

    さようなら、そしておやすみなさい、とね……」










3.ヘルタースケルター † 妊婦 † ドロップキック