【感想】Collector's Album






闇鍋作品集。
ほぼ全部への感想を。




Collector's Album



1.頭の中は自由でいっぱい(Prelude)

人間関係や社会的な立場等のしがらみから解放されたいがため、身分証を捨て、
いっそ自分の存在を全く新しいものにしてしまいたいと、これには大変共感できるものがある。
自由というワードに開放感を感じるが、実際は確かに閉鎖的で、外部からの刺激を一切シャットアウトしているふうだ。

現実世界への絶望から空想世界への希望に逃げた、
逃げたというよりは他の何をも無視して、内側の光ただ一点だけを見つめて歩くことを決心したと、そんな印象。
消極的な臭いのする掌編でした。




2.スローイング

夜が来なくなるとどういうことが起こるか、
例えば政治家や専門家が騒いだり、レンタルビデオ店が繁盛したり、
対してコンビニは平常運転であったり、ナイトフレンズなる団体が出来たり、というような予測が興味深かった。
もし現実に夜が来なくなれば、似たような状況に陥るのかもしれない。

夜を投げる能力とは結局、目の前の問題から目を逸らし、先延ばしにするためだけのものだったということだろうか。
止めるきっかけが欲しかったんだろう。ツンの救われ方にほっとした気分になった。
気になるのはモララーの立ち位置。
何故モララーは一日のほとんどを布団の中で過ごすような生活をしているのか。
どういう状況に置かれているのかは分からないが、きっと彼も問題を先延ばしに、
明日に向かってスローイングしている身なのではないだろうか。
ラストの「きっと彼女ほど努力する力があれば」なんて言い方が遠いところから物を言うようで、なんとも自虐的だ。
ツンの心情の変化をよそに、モララーについてはどこも何も変わらないのにやるせなさを感じてしまう。




3.( ^ω^)コミュ障のようです

ヒトサマという言葉が印象に残る。
マトモじゃないと信じている( ^ω^)からすれば、自分はヒトというサークルの中には入っていないと思っているのだろう。
もしかしたら"マトモな人"のことを自分よりヒエラルキーが上の存在だとも思っているんじゃないか。
( ^ω^)の書く文章を読むと、この人らのようなマトモから外れたように見える人もやはり人間であり、
人間らしい考え方を持っているんだなと思わせられる。
現実の世界でも勿論そうなのだろう。

我々ヒトサマが知的障害者等の所謂異常者(差別的になってしまうが)に持っている偏見、
固定化された通俗的な物の見方を打ち破るような作品だったと思います。

警察が( ^ω^)に「ワルイヒトや」と、子供に促すかのような言葉を使ったのも、やっぱりそういう偏見があるからなんでしょう。
マトモな人側も自分の方が立場が上だと、無意識に決め付けているのかもしれないですね。

(*゚ー゚)が成敗されるようなオチじゃないのがよかった。
あとはブログの書き方も。どっかから転載してきたような、顔文字のチョイスとか、?の多さとか、ほんとにありそうな書き方でしたね。




4.ご機嫌かい、シェルター?

今まで慎重に積み上げてきたものが全て無駄になってしまったと理解していても、
それを簡単に見限ろうという気になれないのは、きっと家族に対するような深い愛情があったからなのだろう。
それまで夢の中で何度も声をかけ、あまつさえ彼女と人のように形容してきた彼にとってのシェルターに、
デミタスは最後の日には本当に恋人を相手取るように接したのに違いない。
もはや無用の産物となってしまったシェルターに、初めて声をだして問いかけたご機嫌かい、シェルター?というその言葉は、
しかし地球を滅ぼそうとするミサイルが現れなければ告白されることのないあたたかさだったのかなと思うと、なんとも皮肉な幕引きだ。

最後にどういった心境でデミタスが呟くのかがこのお話の全体の印象を決め付けたはずなのだが、
ご機嫌だったのがベストマッチだった。

自分のやってきたことはなんて無駄な事だったのだろうと嘆くよりも、
結果はどうあれ、自分はこれだけやってこれたのだとご機嫌になれる明るい終焉に羨望をかけてしまう。






5.ピーマン・スイッチ

申し訳ないがこれはちょっと感想を書けそうにない。
ちょっと、難しすぎた。

最後まで読み、冒頭に戻ってみると、ピーマンに支配された世界は幻だったのではないか、という印象です。




6.素直キュートとハインリッヒ高岡による退屈な会話

幸せだなと思った。
人間いろいろ悩みとか不安とかあるけれど、それらを考えながらも、
日曜をこんなふうに何もしないで、気の許せる友人とぽやぽや過ごせたら、平和そのものだなぁ。

キュートの仕草と、それに反応するハインがいちいち可愛くて、頭の中で漫画を描きながら読み進んだ。
あとこういうのも書けるのかとちょっと驚きました。
この闇鍋の中でも特に浮いてる一作でしたね。




7.泣き言

虚構主義者は虚構によってしか死ねない。
だから、彼は何度でも生き返る。
まあ、虚構主義者じゃなくても考えるポピュラーなモラトリアムですよね。
死んでしまいたい。けれどまだ生きていたい。
自分の成長が止まっているのを他人のせいにし、これ以上生きていくことに意味が無いと
分かっていても認めることは出来ず、あわよくば自分以外の人間の方が死んでくれないかなと浅はかに考えてしまう。

誰でも考えそうな事、ではあるが、その度合いや色合いは人によって濃淡が異なるから
知ったかぶりして批難するのは間違っているだろう、例えこの主人公が架空の人物であっても。

同じ言葉を繰り返すシーンが多々あって、それらが逃れられない事実と分かっていても、
背を背けて必死に逃れようと叫んでいる主人公を想像してしまう。
そうして独りで勝手に追い詰められて、袋小路にしゃがみこみ、震え、
そうなってすら「それでも人生は続く」と絶望に追い討ちをかける。

そんな彼の主張する虚構主義は、その主張自体が虚構であり、虚勢なのではないかとも思えてくる。
つまり現実と戦っているのではなく、現実に付きまとわれているのだ。
あえてそうしているといった方が正しいのか。
何故ならば、彼が乱雑に壁に貼った標語は、彼自身が現実から完全には逃げられないよう仕向けたものなんだから。
結局、人は完全に妄想に生きられない限り、虚構主義者には成りきれないのかもしれない。




8.( ^ω^)ささやかに休むようです

( ^ω^)が人生に「さようなら」を告げてしまう直前に、ξ゚⊿゚)ξとその世界が、彼をそこに案内したのか。
ささやかに休むための世界は、立ち直るための療養所、リハビリ室、猶予期間等といったものを、優しく包容した空間みたいだ。
人生という流れから外れた場所にある許されたゆりかごが、絶体絶命時の、それもまた限られた者にしか案内されないものであっても、
我々の現実世界には存在しないであろうことが残念だ。

ひとつひとつ噛みしめていけば、それほど難解なことは書かれていない、わかりやすい話だ。
帰るべき世界へ帰るために、失語症を治し、死ぬ気で休憩する( ^ω^)の話。
それに憧れながら、自分はゆりかごの世界から出るのが恐ろしく、その世界にいつまでも甘え続けるしかできないことに絶望しているξ゚⊿゚)ξの話。
ゆりかごの世界から出るのはもちろんだが、憧れを忘れることもきっと恐ろしい、だから彼女は悪夢に頼っている。

ξ゚⊿゚)ξも嘗て誰かからゆりかごの世界に案内された元"人間"なのだろうか。
死も老いもない、しかし時間は確実に経過していく世界で、彼女は何十年、何百年そこに居続けているのか。
だからもし彼女がゆりかごの世界から一歩踏み出した時に、戻るべき居場所、実体あるいは精神が無く、
そこに死しか待ち受けていない状況を恐れているのか、それは分からないが。
しかしゆりかごの一歩外が墓場だった夢を彼女がこの上なく怖がったのには、そういうような理由があるからだろうと思う。
連続しているものを嫌うのは、自分には続くべき人生においての未来が無いと思い込む嫉妬からだろうか。

このお話の主人公は( ^ω^)とξ゚⊿゚)ξどちらともといえる。
しかし一人称は( ^ω^)なのに、ξ゚⊿゚)ξのほうに感情がいってしまうのがこの作品の不思議なところだ。
心安らかに読み進められる。故に今回の作品群の中でも好きな部類だ。

それまで「言わないでいいこと」として数えられていた「さようなら」という言葉を( ^ω^)が最後に使ったのは、
きっとこの成長も変化も何も無かった世界への、決別と感謝が表れている。
失語症が治った証として、ゆりかごの世界に留まる理由がなくなった証として彼女がかけた「十分よ」という言葉が、
それまでの感情移入からとても、とてももの悲しく、ラストの一文に寂寥感を装飾する。




9.合理性

>僕はもう、今宵の夕食を諦めてとっとと帰宅したくてたまらなかった。
なのに現実には席を立たなかったのは、もはや完全に依存しきっているからか。
帰らなかったというより、帰ることが出来なかったのだろう。

>……けれども、一切は束の間のアルコールが生み出した悲しい夢物語に過ぎなかった。
夢物語などと揶揄するのはまだ未練が残っているからか。
人間らしさを失ってしまったと自覚している(思い込んでいる)モララーは、そこに対してやりきれなさがあり、
ギコのように文句をつけて自分の好きなように店から出ていける、決定権という観念からの人間らしさを羨んでいるのではないか。

それでももう、選択と決定をビッグデータにまかせきりにするしかない。
人生における失敗要素を怖がっているからというよりも、
もう自分は契約をしてしまったのだからと、考えることを放棄しているように見える。
とにかく決定に従っておけば安心なのだ、今ここで店を出ていかず、380円の焼き鳥をチマチマ食うことが正解なのだと諦めてしまっている。

決定権というものを失うだけで、人間とはこうも人間らしくなくなってしまうのだなと思わされる。
まさしく奴隷と言ってしまっていいだろう。それに気付きながら、安定を約束されたその状況に甘んじてしまう……。
人間らしさを売って安寧を得る。「ただ生きているだけ」の人生になってしまっているという、
一番肝心なことろを見逃している、それが恐ろしい。

そして、そこまで分かっておきながら、自分自身ももしこんな話を持ちかけられたら……、きっと揺らいでしまう。
人間性を失ってまで安寧を得たいという欲求を、今持ってしても心から撥ね退けることが出来ない。
心の弱さに油断があるといつでも突けこんでくる。警句として留めておきたいバイブルだ。

('、`*川だが、モララーの考えた通り、もしかしたらこの女も、決定権を無くした者の一人なんじゃないかと勘繰ってしまう。




10.衝動

常人には理解し難い理由で彼らは人を、赤ん坊を殺しているらしい。
が、高校の同級生だったという高岡が、数年後には禿げたおっさんと関係を持っていたり、
乳児連続失踪事件が起きている同じ街で集団による通り魔が発生していたり……。

世の中の何が常で、常識で、常人とは一体何を物差しにカテゴライズすればいいのか、
自分の周りの人間はどうか、果たして自分はどうか、と、そんなことを考えてしまう。

赤ん坊が死んだ時に津出が見せた一筋の良心は何を意味していたのだろう。
これから死にゆく赤ん坊の紙オムツをわざわざ変えたのは、やはり思い止まっていたからなのか。
それまで一般にイメージする常人の印象があった津出だけに、ラストに見せる惚けた表情がこの作品中一番恐ろしい。


ここからは拙い邪推になるのだが……自分なりにこのお話の顛末を予想してみる。

津出は長岡と結ばれたい、あるいは内藤を始末したかった。
内藤を崖(死体の処理に適した場所)に誘いこみ殺すために津出は、
出来てしまった邪魔な赤ん坊を始末したいのだと内藤に持ち掛ける。
ただ、赤ん坊一人が急に消えたのでは不審に思われるので、他の赤ん坊を巻き込んで、
乳児連続失踪事件をでっちあげることを思い付く。
ちょうど人を殺す経験を積みたかった長岡もこれに協力。

津出が最後まで赤ん坊を殺すことを躊躇っていたのは長岡と事前に打ち合わせていた事だった(勿論涙を流したのは本心からだろうが)。
それも津出が自分の赤ん坊を崖に投げるときに、心中する素振りを見せ、内藤を崖の側まで近づけさせ、注意を引くため。
その隙に長岡が内藤を撃つという、全て計画通りに事が運んだという話だった。


……と、そんなことを考えても見たが、本当はどうなんでしょう。
謎が謎のまま終わる話は余韻を楽しめればそれでいいのだろうが、自分にはどうも向かないようだ……。




11.きちがい語録

六日目の編者註という演出に臭気が漂う。
この文章「きちがい語録」が、主人公が予想していた通り、本当にあのモラルが死んだ世界で出版されたもので、
我々は違う世界、否時代にいながらしてこれを特別に読むことが出来ている、そんな心持ちだ。

そして恐らく、向こうの世界の読者はこの主人公の訴えを全く理解することが出来ていないのだ。
日本語であり、正しい文法であるにも関わらず……、

>本来罰を受けるべきは老婆をリンチしていた連中……或いは、
>それを見世物のように扱って楽しんでいた連中ではないのか?

この文まで、まるで異国の呪詛のように見えているに違いない……。
そんなわけで、製本版「きちがい語録」には、主人公が書いた本編の後に、編集者の解説が入っているのだ。

主人公の主張するところが解読不能な読者諸君へ、
つまりこいつはこのような意味合いの言葉をこういう思考で書いているのですよ、ま、私にも解りかねますがねといった具合に。
更に特別ゲストとして有名な芸能人が誘われ、巻末でやはり主人公を卑下し、
あまつさえ帯にまで自分の写真を載せて「今この本が面白い!」とか宣伝されている。

……と、そんな妄想をしてしまうと、よっぽどいたたまれない気持ちになる。
そんな妄想をしてしまう程、実際に売られていた場合にこのような商法が間違いなくとられていると確信できる。
受刑者の凄惨な殺され方や主人公の思考の変わり方よりも、モラルが死んでいるという状況と、
それに取り残された人達がいるという事態の方により残酷さを感じる話でした。

どうせなら皆のモラルを殺してくれればよかったのに……。
などと、現実の世界でもモラルが死なない保障は無いのだから、迂闊なことは言えない。




12.水底のブランコ

死にゆく魂が最後に通過するイメージが、まさしくこれだ。と、最後の2レスで思います。
死を司る小説、そんな言葉が思い浮かぶ。
状況的に希望的観測は何一つとして無いのに、魂を包む世界は希望と光で満ち満ちている……。
それを表現する文章が溜め息が出るほど洗練されている。美しい。

ただし、この主人公のような状況に陥らないと見えないイメージではあると思う。
故に我々がこれを体験するのは難しいだろう、それが残念でならない。
だからこそと言うべきか、この死に至るまでの物語の運び方がとても綺麗でしっくりくる。
こうじゃないととても死の際に水底のブランコは現れないだろう。

無駄が無いとまでは言えない。
どうも、この最後にもってくるまでが、ちょっと遠回りな感じがする。
特に( ・∀・)が車に乗ってからしばらくが単調(単純に動きが無かった)だった。
自問のための心理描写は結構だが、もう少しスマートにしてもよかったと思う。

というのも、この小説は最後の数レスを読ませるためのものだった、と思うからだ。
それでもラストまでの過程全てが単なる肉付けに過ぎないから、とまでは言えない。
実際かなりの完成度だ。読めて良かった、本当に。

最後にスクリーンに映った彼女が、そのような描写は無いのに、
優しく微笑んでいるように感じたのは何故だろうか。
最後に人生を想った主人公の姿は、
もしかしたら布団の上に置き去りにしてきた本当の姿を取り戻したのではないか。
心配するまでもないだろうが、彼らの最後が絶望で終わらなかったことだけは確かだろうと思う。