【感想】ラノブンピック2020 全参加作品

ラノブンピック2020
https://boonnovel2020.web.fc2.com/index.html(特設サイト)

【イラスト募集期間】
2020年2月22日(土)から3月22日(日)
【作品投下期間】
2020年4月25日(土)から5月6日(水・祝)


投下された全38作品の感想です。ネタバレ有り注意。
掲載順、【閲覧注意】表記は特設サイトに準じています。

全体的にレベル高かったです。


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【感想】川 ゚ -゚)フェアウェルキスのようです

コーヒーの味に好みがある。家事によっては苦手なものがある。
泣き虫で、感じようによっては独り言を漏らす。
記憶があり、感情があり、それによって行動を変える。
そんなドクオという人格をロボットか人間か、どちらかに区分しようとすると、とても難しい。
人型とだけしか容姿に触れていないこともあって、少なくとも外見については100%人間の形を想像する。

個人的に大好きなシーンがあって、
些細なことで喧嘩をした後その仲直りに、二人で流しそうめんをするというものだ。
効率なんていう言葉とはかけ離れた風流な催しに本気になれるドクオに人間味を感じずにいられない。
いいことがあった日には赤飯を炊いて、それに失敗したといって涙を見せる彼の愛情が偽りだと思えない。

ドクオはあまりにも人間らしかった。
だからハイン博士はドクオの機能を停止させる決断が最後までできなかったのだろう。

奇跡的に眼を覚ましたその日、口づけをして、ドクオの名前を呼んだとき、
そのチャンスがあったはずなのに、「さようなら」でなく「ごめんな」と口にした。
謝罪の言葉には色んな意味が込められていたと思う。

自分のわがままを無理やり通した結果こうなってしまったこと。
肉体や記憶を時間に捉われない者としてこれからも生きていかなければならなくなること。
それを強いることになってしまうと知りながら決断できなかったこと。

決断できない、それは当たり前だ。
人間が人間の、それも愛する人の、自分の子の、命を閉ざす決断を一瞬で着けられるはずはないのだ。

感情を取り戻してなお、愛情を伝える言葉を「ごめんな」の代わりに選べなかったのは、
「愛してる」なんて単純な言葉すら知らなかったから、そんな風に考えると余計悲しくなってしまう。


ハイン博士が「思い出にならない記憶」という傷を背負わせて
それでもドクオに生を望んだように、クーも同じ決断をしたこと。
その後で、愛を繋ぎとめたまま命を終えさせる決断を、一方的ともいえる形で通したこと。
罪作りな選択のそのどちらともに、厳しいからこそクーのドクオに対する愛情の深さが伺える。

特に最後の決断には、自分こそが彼の今の主人であるという責任感、
彼を一辺倒に人間として扱わない、ロボットであるという側面に対しての本当の慈愛を感じ取ることができた。


この物語は、
愛情なんていう「人間らしい」ものを持ち合わせてしまったばかりに苦悩し続けるロボットの、
「人間らしさ」という機械でないもう一つの命を繋ぎとめようとする三人の人間のお話、だったと思う。

愛情という目に見えない不確かなものを赤い糸に可視化して、
それに命という重さを乗せてきたイラストへの想いの込め方に立ち上がって拍手を送りたい。



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【感想】∵ Three dot ∴

極上のエンターテイメント!
スリルも冒険もイカレた冒険者あってこそ!
ギュウギュウに犇き合うほど押し込まれた作者の「好き」は期待を悉く飛び越えてくる。
そうして最後に拳を付き合わせる彼らの姿が読後の熱をより滾らせる。
「友情」「努力」「勝利」を体現したかのような、ただひたすらに王道を貫く作品だ。

(´^ω^`)「何よりも、面白ぇ連中と一緒に危ねぇ橋を渡りたかった。それが一番の理由だ」
このセリフに爆笑で返すシーンがたまんねえ。
昔からの間柄であろう三人には特別な想いを抱かずにいられない。

特にドクオがクソ格好良い。
単純な腕っぷしはもちろん、追随して敵の心をへし折る語りがまぁ強い。
先住民との闘いのときに上げた咆哮には、高揚感で思わずこちらの口角まで上がってしまう。

賞賛すべきところは12シスターズと称して、あのイラストの全員を余すことなく活躍させたこと。
そしてかつて敵対した勢力同士としての共闘という熱すぎる展開。
イラストモチーフのキャラとは見当が付いていたけど、差し込むタイミングまできっちり図られていたと思う。

それを上回って驚かされたのが(∪^ω^)( ∵)( ∴)のイラストの使い方。
こんなにもほのぼのとした印象の絵が、あんなふうに活力みなぎる印象の絵に見違えるとは思ってもみなかった。
想像力と文筆力がしっかり結びつくと、こうも大胆なことができるものなんですね……。

さも続きがあるような締め方をするのがずるい、期待していいのか?
ともあれ、この一話だけ見ても今まで名作と呼ばれてきたエンタメ作品と肩を並べるほど
素晴らしい作品だったと言わざるを得ない。大満足の一言です。



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【感想】('A`)続きのないアルバムを眺めていたようです

こんなに胸が締め付けられることってなかなか無い。
本作の舞台と現実の日本との唯一の相違点は合法的安楽死の有無のみで、
しかもそれは明日にでもそういう法案が成立しましたよと言われれば安易に納得してしまうしかないようなリアリティを孕んでる。
そして我々に問いかけてくる、「あなたは覚悟できてますか」と。
嫌でも思い出すのは自身の親の顔……、今からでも写真を撮って残しておくべきだと警鐘を鳴らす……。

一体全体、主人公の思考や行動の、何を、どこまで責められるだろう。
時間や金や手間を惜しんで何年も実家に帰らなかったこと。
交通事故だの面倒なことにならずに済んでよかったと胸を撫で下ろしたこと。
前置きの長さにいら立ったこと。誰もが行き着く普通の思考回路だ。
そしてこれを普通と言いきってしまえる自分だからこそ、明日は我が身と怯えざるを得なくなる。

思考の垂れ流しと表現していいものか、ドクオの頭の中を直に見せられているような地の文の語り方は、
似た意味合いの言葉や全く同じ意味合いの言葉を、繰り返し繰り返し使う。
情報の重複とも言えるそれは、しかし全然嫌な感じがしない。
なんでだろうという疑問やそうだったのかという再認識を、ゆっくりと彼自身の脳に浸透させていくようで、
いつの間にか彼と同期させられた私自身もそれをゆっくりゆっくり飲み込もうとしていることに気づく。

思考の垂れ流しを読ませる上で理解しやすい言葉のチョイスも見事だが、
出てくるアイテムもノスタルジーを感じさせる絶妙なものだった。
特にメロンソーダが出てくるあたり上手い。
そういえば最後に飲んだのはいつだったろう、思い出の鍵として特に光ったワードだ。


夢の中に現れた汽車は美しかった。
人々が大人になるために置き去りにした「過去の弱い自分」を乗せて預かっているんだ。
きっとドクオだけでない、顔が見えなかった彼ら全部がそうやって「未来の大人になった自分」を待っているんだ。

そして汽車の中で、八歳のドクオが光の粒になってドクオに帰っていく光景がとても綺麗だった。
一行ごとに短くなっていく文の演出はまるで砂時計が落ちていくかの如く、残渣の一粒までも残さなかったことを読み手に伝える。
本当にこの汽車の光景は素晴らしいものだった。

後悔先に立たず、とは本当にその通りだと思う。
死の直前にかけた言葉、自分しか映っていない写真、
諦観によって自死を後押ししたこと、母親から眼を背けたこと、数えればキリがないはずだ。

J( 'ー`)し「自分が自分だって分かる今のうちに、ドクオがドクオだって分かる今のうちに、幸せなまま死にたいの」
この母親の言葉も決して嘘ではないと思う、それにドクオはどう思うんだろうか。

最後の一行とタイトルをじっと睨んだ、苦しい読後感だった。



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【感想】そして、永訣の朝をこえる

俺たちが、他人のためにできることは何だろう。
俺たちが、死者のためにできることは何だろう。
そんな一生の命題に向き合って、勝手に何かを背負い生きていこうとすることこそ、人間の業の深さなのかもしれない。

本作「そして、永訣の朝をこえる」は、主人公ミセリが生まれつき病弱である義妹のトソンのために自分にできることとは何なのか、
十年背負い続けた葛藤とその決別の物語である。
宮沢賢治が最愛の妹トシを病気で亡くしてしまう、その日の朝を詩に書いた「永訣の朝」、
奇しくもそれになぞらえるように最愛の妹トソンを失ったミセリは、中原中也の詩「春日狂想」、その冒頭一節に支配される。

「愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。
愛するものが死んだ時には、それより他に、方法がない。」

これまで何もしてやることができなかった、最後に自分ができることは、妹を想って自殺すること。
そんな自責の念と、希望を失った投げやりな心とが、ない交ぜになって物語に暗い影を落とす。
決意を携えて屋上に登った巻頭のワンシーンが最後まで緊張を忘れさせない。

初めて病室でこの詩を見つけ、誰のために私は死ぬのか、それを考えてパッとトソンの顔が浮かぶミセリは、
詩の続きを読む前から既に「奉仕の気持ちにならなきゃいけない」ということに囚われているように感じないだろうか。

昔、トソンを外に連れ出して、病気を悪化させてしまったこと。
手にミトンを嵌めさせたせいで、それが本当のトソンの幸せになっていないと気づいたこと。
何かしてやれることはないかと探す度に、それが逆の結果を招いてしまう。

「心強い姉として」そんなミセリの行動原理は、いつしか別の何かにすげ変わっていることに本人さえ気づかない。
そうして最後に残された自殺という方法が美徳に見えてしまうのが、何とも残酷で、もどかしい。


ここで一つ思う。トソンはミセリの「奉仕の気持ち」に当然気づいていただろうと。
じゃなきゃ、雪を食べたいという、ミセリにしか分からない最後のお願いを今わの際でつぶやくだろうか。

―――「あめゆじゅとてちてけんじゃ(雨雪取ってきてちょうだい)」
病床に伏せるトシが賢治に頼み事をする「永訣の朝」とリンクする。
これには、妹のため何かしてあげられることはないかと苦しむ賢治にささやかな願いを叶えさせて、
少しでもその苦しみを和らげようとしたトシの心遣いが含まれている節がある。

薄弱していく意識の中、トソンにそんな機転の利かせ方ができたかどうかは分からない。
分からないし、下記もすべて憶測でしかない。

たぶん、トソンはミセリにずっと、最初に出会ったあの日の、感謝と慰めをしたかったのだろうと思う。
外に連れ出してくれた、普通の子どもとして対等に遊んでくれたことへの感謝。
それが原因で病状が悪化してしまったという、ミセリの悔恨の念への許容の意。
お姉ちゃんがやったことは、私にとって決して間違ったことではなかったんだよという溜め込んでいた想いが、
ミセリへ最後に伝えておかなければならないメッセージだったのかもしれない……。


……しかし、その後もミセリの頭の中では中原中也がこだまする。
トソンが死んだ実感が沸かない、葬儀が終わってなお泣くこともできない、
何より、最後まで何もしてあげられなかった無力感。
ミセリにとっては、自分も死んで決着を着けるしか弔いの方法が見つけられずにいた。

そんな折見つかるプリクラと、その裏に書かれた直筆の文字。
意味を理解したミセリは自殺をやめ、屋上に写真を燃やしに行く。


―――ここでまた宮沢賢治の話に移る。
賢治はトシを亡くした後、その葬儀に参列することはなかったそうだ。
父親と宗教の違いから、仲違いをしていたらしい。
出棺の際に路上に現れてともに棺を運び、火葬場では棺が燃えつきるまで読経して、遺骨は分骨されたとある。
もっと上手く弔ってやれたのではないか、そんな後悔が後の彼の作品、「銀河鉄道の夜」などに影響を与えているという……。


ミセリは屋上に写真を燃やしに行く。
トソンを自分なりに弔うために。
泣けなかった葬儀で終わらせないため、そして死にたがりの自分への決別を込めて。

「わたしはこれから、わたしの人生を生きなければならない。」
ようやくわかったよと伝えるために、天国に近い、なるべく高い場所を選んで。
奉仕の気持ちはようやく終わって、あるいはまた、今度は自分のために、始まっていくのかもしれませんね……。


「永訣の朝」と「春日狂想」、ふたつの名作を組み合わせ、新しいものへと昇華させた傑作。
宮沢賢治の描きだした普遍性を現代へ訳して語る作者の手腕にただただ脱帽するのみである。



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